ダイアログインタビュー ~市井の人~ 梅田守さん「この街で暮らす『芯』とは」1 | ポンコツ軍曹の不人気ブログ「いいかげんが好い加減」

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この街で暮らす「芯」とは…

~梅田守さんダイアログインタビュー~

インタビュー日時;2016年8月10日 12時~15時

インタビュー場所;南相馬市鹿島区 ホンダカーズ南相馬ショールーム

天気;爽やかな快晴

 

 

梅田守さんは、南相馬市鹿島区の地元のカーディーラーの社長として、そして地域貢献や街づくりの為の活動のキーマンとして、お忙しい日々を送っておられる方だ。震災後に移住した私を何かと気にかけて下さり、どこで会ってもいつも朗らかに声をかけて下さる。

何というか…周囲の人を引き付けるパワーと、強い信念を伴った行動力を持った、とても魅力的な方だ。

 今回の「南相馬という街への想いをお聞かせ下さい」という、雲をつかむようなお願いにも、「『はい』か『イエス』か『喜んで』意外に言う言葉は無いよ(笑)」と、快いお返事を下さった。しかも即答である。

本当に嬉しい事だ。

お忙しい中でのロングインタビューとなってしまい、ご迷惑をおかけしてしまったのだが、言葉を選びながら、じっくりと丁寧に答えて下さった。

強い芯と、深い味わいを感じられるお話が伺えた。ではそのインタビューの様子だ。

 

 

――今日はお時間を取っていただいて、有難うございます。明日から

お盆休みなんですか(インタビュー実施日は8月10日で、「山の日」の前日)?

 

梅田守さん(以下梅田) よろしくお願いします。えーっとね、休みは13日の土曜日

からかな。

 

――ではお名前から教えて下さい。

梅田 梅田守(うめだまもる)と申します。南相馬市鹿島区に住んでいます。ホンダカーズ南相馬の社長をしています。

 

――生まれてからずっと鹿島区にお住まいなんですか?

 

梅田 そうですね。ただ、高校卒業から都合6年間地元を離れてました。ホンダの学校に2年間、そのあとそのまま地元には戻らないで、仙台のホンダの販売店に4年間の、都合6年間ですね。

 

――ホンダの学校って、どこにあったんですか?

 

梅田 軍曹(インタビュアーである戸田のあだ名)の地元の県の埼玉県です。

 

――そうでしたか。和光市ですか(埼玉県の和光市にはホンダの大きな工場がある)?

 

梅田 いえ、当時の大井町です。今のふじみ野市かな。

 

――じゃあ埼玉に2年、仙台に4年ですか。営業マンをしてたんですか?

 

梅田 そうですね。

 

――ここの「ホンダカーズ南相馬」の会社を興したのっていつなんですか?

 

梅田 この会社自体の創業は昭和35年3月。父親が「梅田輪業商会」として設立したのが始まりでして。

 

――もともとはバイク屋さんだったんですか。ホンダプリモ店だったんですね?

 

梅田 屋号変更前はね。

 

――ホンダのディーラーは、地元のバイク屋さんや修理工場が前身の会社が多いですね。

 

梅田 ホンダのディーラーはその流れが多いね。

 

――以前、車の修理工場にネジやケミカルを売り歩く仕事をしてましてね。ホンダのディーラって町工場の様な雰囲気もあって、結構好きだったんですヨ(笑)。

 

梅田 お~そうなんだ~。

 

――で、仕事を継がれたのはいつなんですか?

 

梅田 入社したのは昭和62年4月に入社。その前に、今の株式会社形態になったのが昭和55年9月かな。

 

ホンダカーズ南相馬という会社は、その前身から数えると、50年以上地域に根差した企業という事になる。梅田さんご自身も、南相馬で働き始めて、およそ30年にもなるという事だ。

~続~