愚直に人と関わる
~若松真哉さんダイアログインタビュー~
インタビュー日時:2016年8月31日 16時00分~17時30分
インタビュー場所:南相馬市立図書館内 喫茶「Beans」
天気:台風一過の晴天
若松真哉さんは、南相馬市鹿島区で営業している「若松味噌醤油店」という老舗の味噌屋さんの若旦那さんだ。若松さんと私戸田は、イベントや勉強会などでお会いする機会も多いのだが、私から見て若松さんは、独特な雰囲気を持った「気になる人」だったりする。若松さんのその独特な雰囲気は、一体どんな体験や想いから醸し出されているのか…有難い事にインタビューの機会をいただけたので、そうした部分を窺えるお話が聴けたらと思ってインタビューに臨んだのだが、果たして…。
若松真哉さん(以下若松) こういう風にインタビューしてもらえるのは助かります! 話がやばい方向に行きそうになったりしたら、自制しますから(笑)。
――いやいや!もうダイナミックに語ってもらって構いません(笑)。
若松 いやいやいやいや(笑)。そういえば、この前話してた本の話なんですが(このインタビューを行う数日前に、私と若松さんで、読書に関する雑談をしていた)、最近「ハーバード大学の学生は東北の地で何を学ぶか(山崎繭加氏著「ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか」(ダイヤモンド社発行)のことと思われる)という本と「リー・クアンユー世界を語る(グラハムアリソン氏、ロバート・D. ブラックウィル,氏、アリ・ウィン氏著、サンマーク出版発行。リー・クアンユーは「シンガポール建国の父」と言われたシンガポール初代首相。)」という2冊の本を買いましてね。どちらも良著だったんですが、前者の本で、ハーバードの学生が東北で何を学ぶかって事は、学生が東北に来てみてどんな反応をするかという内容の本だったんですね。一年目はこんなことを学んだ、二年目はどうだったか。三年目四年目に学んだ事はこうで……という事が書いてあって。それを読んでみると、この地域もそうですけど、必要とされている事が時系列で変わっていくのが分かるんですよね。俺のやってる事も変わってきてるなと思いますし。
――お~そうですか。
若松 もうどんどん変わってますね。ですんで、今また方向転換しようかと。んでそこで次に「リー・クアンユー世界を語る」という本を読んだんです。シンガポールの今までの歩みと、100年くらい先までのヴィジョンが書かれてましてね。小国家であるシンガポールが、ここまで運営されるにあたって、どんな想いでやってきたのか……ほんとに迷いながら進んでるんです。で、これからどうするのか。小国シンガポールの出来る事、地の利、強みを活かした事をしてきて、今では飛び抜けた国になっていると。私は色々やってきたけど、これからはいち事業主のせがれとして、商売に軸足を移して、今の若松味噌醤油店というステージを活かした事をやっていきたいと思っています。私にももうせがれもいますし、将来的にここを受け継がせるにしても、この部分をしっかりしておかないと申し訳ないですしね。
――そこって見落とされがちですけど、大事な部分ですよね。地域で商売をされてる方は特に、皆さんそう言います。「派手なイベント開催や箱もの建築などではなく、地域の基本ともなる自分の商売をしっかりしなきゃ!」とね。
■ 若松さんは今まで、地元の消防団や商工会の役員などといった事をしてきている。それだけではない。地域の名物を生み出すための活動や、イベントへの出店、街づくりのワークショップなどにも出席している。それに加え、震災直後から「復興デパートメント(ヤフージャパンが運営しているインターネット百貨店)」に参加している。そうした活動がマスコミなどにも取り上げられ、「若松味噌の若松さん」といえば、この地域では有名な人なのだ。その彼をして「得意・特色を活かして、足元をしっかりと」と言わせる今のこの街の状況は、「震災の被災地」としての南相馬が、更に次のステージへ上がろうと模索している段階と言えるのかも知れない。
ところで、意外に思えた事がある。私はインタビューの前、「今日の若松さんの話からは、所謂「老舗の跡取り」としてのジレンマが感じられるかもな?」と思っていた。ところが実際に話を伺ってみると、そういったニュアンスの話はインタビュー前に私が思っていたほど出てこなかった。家業を継いでいく苦労は当然あったのだろうが、私のそうした無粋な推察への若松さんの回答は、もっと普遍的なものだった。
~続~