台湾を学ぶ~①
10月24日から28日まで
遠藤富士雄和歌山市議会議員を団長とし、各国会議員の秘書、神奈川、新潟、岐阜県議会議員、和歌山市、甲州市、豊川市、野田市、稲城市、成田市、香取市、可児市、鎌ヶ谷市、などの各市議会議員など若手議員を中心に全国から33名で
台湾政府外交部主催の「2011年日本青年台湾研修」に行ってきました
まず台湾に到着すると日本語の看板(お店)、コンビニ、本屋さんでは日本語でのファッションや芸能雑誌、至る所で聞こえる日本語など外国でありながら、私達日本人がとても親近感をもてる国でありました
なぜその様に日本人が親近感を持てる国であるのだろうか?
~日本交流協会~
2日目に訪問した「日本交流協会」(諸外国でいう大使館)で受けた研修では、台湾人の意識調査でも・・・
☆もっとも好きな国は→日本52%(2位のアメリカは7%)
☆日本は信頼できる→41%
☆将来の日台関係を楽観視→50%
(同僚の浦平和歌山市議会議員と)
☆日本人訪台者108万人(台湾から見て第二位)
☆台湾人訪日者127万人(日本から見て第三位)
などなど、いかに台湾が親日かであるのかをお解りいただけると思います
さて1894年日清戦争勃発(日本の安全保障のために朝鮮半島を独立させるための戦争だった)
日本はこの戦争に勝利し下関条約で台湾を割譲させたのです
そして日本の統治時代に入ってからは風土病(コレラ、赤痢)などの衛生面を改善し、病院なども次々建設され、医師の育成も積極的におこなった
病原の原因となった飲料水を改善するため上下水道を20年以上の歳月をかけ整備し、道路を整備し、橋をかけ、鉄道を敷き、たちまち台湾のインフラ整備を完全化した
そして数年のうちには世界一治安がよい、安心してくらせる町に変わりったのです
また教育にも力をいれ、当時、ヨーロッパ諸国が植民地としていたアジアの国々は、ただ単に労働や生産などと言った事を重点にしており、現地民をおそらく奴隷としてしか扱っていなかったようです
しかし日本は台湾を単なる植民地としてではなく、自国と同じ気持ちで台湾という土地に接したのです
台湾人の多くの知識人は「日本統治がなかったら、おそらく中国の海南島のような貧しい島国になったいただろう」、そう確信しているやに聞き及んでいます
もちろん現地民の中では当時反日だった人々も多くおり、抗日ゲリラなどで多くの台湾内での抗争があったのも事実ですが、台湾現地人のアイデンティテーを重んじる日本人もおれば、日本兵として志願する多くの台湾人もいたのも事実です
その後、大東亜戦争(第二次世界大戦)で敗戦した日本は台湾を引き揚げ、蒋介石率いる中国国民党のものになった
ただ台湾人は中国本土から入ってきた中国人の考えや行動が、日本が統治したときの近代的な考えや教育とのあまりのギャップに戸惑いを隠し切れなかったのです
例えば、中国人は水が出る蛇口をみて蛇口の金具を壁に取り付けさえすれば水がでると思い込んでいたり、平気で人の敷地内に家を建てたり、ゴミを捨てたり、法と言う意識が全くなく、治安は急激に悪化し犯罪や強姦が多発、衛生事情も悪化し、昔の台湾に逆戻りしてしまったのです
「日本統治時代は良かった・・・」と
まだまだ台湾の歴史事情はあるのですが、とりあえず研修レポを軌道修正いたします(笑)
いずれにしても、そのような日本と台湾の歴史があったからこそ、今の日本と台湾の関係があるのです
~台北市議会~
ちょうど私の立場と同じ地方議会である「台北市議会」にも訪問いたしました
ちょうどそこは議会の真っ只中、議員の質疑に台北市長が答弁している最中でした
台北市議会議員の質問の意味は言葉がわからなくて理解不能でしたが、あの迫力、あの熱弁、まさしくガチンコ対決している熱い熱い議論の場でありました
やはり私も議場は戦場のごとく、命を賭ける思いでの論戦の場でな無くてはならないのだと再認識しました
台湾を学ぶ~②に続く