何から書いたらいいのか…。
ここ数日、自分の中で中村勘三郎さんへの思いを綴ってました。
本当に信じられないことが起きてしまって、ただただショックです。
5日早朝、勘三郎さんの訃報をテレビで知り、すぐさま三谷幸喜さんからも驚きのメールが届きました。
全く以って事実が受け入れられず私は少し具合が悪くなってしまいました。
昨夜の追悼番組を観て、今年7月あたりの勘三郎さんの日々がわかった。
訃報を知って7月22日の自分のブログを何度も確認しました。
間違いない!
そこに記したように、その日突然PARCO劇場に現れた勘三郎さんはすこぶるお元気そうに見えました。
あの日、間違いなく勘三郎さんは『なにわバタフライN.V』千秋楽に足を運んでくださった。
終演後には楽屋を訪ねてくださって。
『手術前の大変な時にわざわざお越し頂いて本当にありがとうございます。』
私は嬉しくて嬉しくて有り難くて有り難くて深々頭を下げました。
(昨夜のテレビから察すると本当にわざわざだ。あの時もう抗がん剤の治療は始まっていたのだ。そんな大変な時に。私の芝居を観ると言うより、恐れ多くもありがとうを言いに来てくださったのではないだろうか…。)
『いやいや。でもこの先、僕に何かあったらね、この芝居が最後に観た芝居になるからね。』
なんて真顔のような冗談とも取れるようなお顔でおっしゃたことが頭から離れないでいるんです。
その突飛なお言葉に、私はどのような言葉をお返ししたのかが、はっきり思い出せない。
まさかのまさかが本当になってしまって、あの楽屋でのことを思い出すと今は胸が異常に苦しいのです…。
その日は勘九郎さんも観劇してくれていて、手術前にはゴルフを一緒になさると勘三郎さんは面白そうにおっしゃってました。
昨夜放送されたゴルフコンペの様子は24日となってました。お会いした翌々日。
映像でも『最後のゴルフかも知れない』と冗談めいた口調をされてました。
あの日、しばし談笑したあとポツリと…
『あれ、本当?』
『はい?』
『紙吹雪の話…。』
私は一瞬、うん?となったのですが…。でもすぐさま、ああっ!私の手紙を読んでくださったんだ!と分かりました。
手紙というか、応援というか、ファンレター!
『そうです。本当です。あと二枚は手帳にしまってあるんですよ。』
『あそぉ!そぉなのぉぉ!嬉しいなぁぁぁ。』
勘三郎さんの盟友、笹野高史さんからもその後、お電話頂いた。
『勘三郎さんに手紙書いたんだってぇ?そのことすっごく喜んで話してたよ。』って。
お仕事ではとんねるずさんの『喰わず嫌い』で勘三郎さんと対戦させて頂きました。
めちゃくちゃ嬉しかったし楽しかったし、何より光栄でした。
そして幸運なことに、以後プライベートでも何度かお酒の席でご一緒させて頂きました。
もちろん、舞台もたくさん拝見しております。
とにかく大・大・大尊敬しているのです。
難聴を患われてようやく復帰された矢先の喉頭癌の発表でした。
ご本人の心中は計り知れません。
昨夜の番組内での『また振り出しに戻って、上がりが出ない…。』『昨年は難聴を患っていて定期検診をしなかったんだよ…。』この悔やまれるお言葉が印象に残った。
私はこの夏『なにわバタフライN.V』再演の稽古に追われながらも勘三郎さんのお身体をずーっと案じておりました。
『なにわ~』の幕が開いて落ち着いたらお手紙を書こうと思ってました。エールのファンレターを。
稚拙な文章の最後に一枚の紙吹雪を貼付けました。
それは大切に持っていた三枚のうちの一枚。
初めてコクーン歌舞伎の『三人吉三』を観た時、舞台上の紙吹雪が客席にも舞ってきて、何故か私は床に落ちた紙吹雪を三枚拾いあげてました。
圧巻の中村勘九郎(当時)さんの芝居に心が、身体が震え、その紙吹雪を手帳に挟んだのでした。
そのエピソードと共に、そのうちの一枚を手紙に貼付けたのでした。
白い便箋に、白い紙吹雪をセロテープで貼ったものですから返って分かりにくくなってしまって、これです!みたいな矢印も書き添えました。
ちょっと笑えますよね。
とにかく無事に復帰されることを世界中が願ってます!と。
私もその一人です!と。
冒頭の写真は手元に残る二枚の紙吹雪です。
私は現在、毎日ドラマの撮影をしていますが、母の時もそうでした。大切な人を亡くしたの時にあふれるこの感覚。
やわらかな冬の陽射しを浴びて空を見上げればそれだけでもう悲しい。
むしろ良い材料がある時に悲しくなるのです。
美味しい物を食べたり、景色が良かったり、星が綺麗だったりすると悲しくなるのです。
もうこれらを味わう事がお出来になれないのかと…。
何より、何より、大好きな舞台に勘三郎さんがもう立てないなんて…。
私の残りの人生、本当に分けて差し上げたいです。
もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと勘三郎さんを観たかったです。
奇しくも我が母が最期に訪れた現場もPARCOでした。
PARCO劇場にまた格別の思いが募ります。
中村勘三郎。
『人気役者』とはこの人の事を言うのだと思います。
もうたくさんの方がおっしゃってるように、天才であって努力家。
誰も敵うわけがありません。
踊りも芝居も。何もかもお上手でそして色っぽい。
本当に走り続けた勘三郎さん。
でも。
でも。
いくら何でも早過ぎますよ。
勘三郎さんには
『心から尊敬しておりまーす!』と絶叫したいです。絶叫。
私にとって最後になってしまったあの日、
『旅もまだあるんでしょ?頑張って!ホントにありがとね。』
と勘三郎さんは片手をひょいと上げてPARCO劇場を後にされました。
何とも、何日経っても、心の中での決着がつきませんが、私は勘三郎さんにはずーっとずーっと『ありがとうございました。』って言い続けて行くのだと思います。
1985年?のテレビドラマ『福沢諭吉』を演じた勘三郎さん。当時、釘付けになって観ました。
今回、こんな事になって思いがけずYouTubeで見つける事が出来ました。
それを観て又々涙です…。
いつの時代も、どこをどう切り取っても素晴らしい。
K-CO TODA