愛する人に伝える言葉(21) | 戸田学の映画誌

戸田学の映画誌

映画を中心とした事柄をあれこれ書いてゆく雑記帳です。

崇高な映画である。そして人生の賛歌でもある。

いわゆる人生の終末を扱った映画なのだが、深い。カトリーヌ・ドヌーヴが母親役で出演していることから、彼女の映画と思われがちだが、出演者すべてが主役のようで素晴らしい。

息子を演じるブノワ・マジメルは、セザール賞最優秀男優賞の受賞歴を誇る演技派。主治医を演じるガブリエル・サラは、なんと現役の医者なのだが、その芝居のなんと自然な事。看護師は、クリント・イーストウッド監督『ヒア・アフター』(10)にも出ていた、とても雰囲気のあるセシル・ド・フランス。脚本・監督は女優でもあるエマニュエル・ベルコ。

映画は、夏から始まって、秋、冬、春…と続き、その章立てごとにドクター・エデは、病院内でスタッフを集めてディスカッションする場面が出てくる。「夏」、映画が始まってのディスカッションは、大団円の伏線ともなる。

アフリカ系の看護師のアップから始まる。彼女の担当患者の告白だ。

「彼女は8時間、夫の手を握り続けて、夜11時に一度帰宅したの。その10分後、電話で彼の死を知らされた。まだ運転中の彼女に。戻ってきた彼女は打ちのめされていた。夫の最期が近いのを感じられなかったこと。何より夫を1人で死なせたことに絶望していた。私は彼女に同情したわ。ひどいことだもの。でも、自分を責めないでと声をかけることも出来ずにティッシュを渡しただけ」

よく聞いていたドクター・エディ(ガブリエル・サラ)はいう。

「いいかい。死ぬ時を決めるのは患者自身なんだ。立ち会う人も患者が決める。彼は妻と1日を過ごして決めたんだろう。言葉や身ぶりで愛を伝えあったはずだ。妻を帰したのは1人で死ぬと決めたから。彼の決断だ。10分前まで妻がそばにいたことは何もムダじゃない」

 

がん専門医のドクター・エディを拗ねた感じのバンジャマン(ブノワ・マジメル)が訪ねてくる。看護師ユージェニー(セシル・ド・フランス)に「無名の俳優」と名のった彼は39歳の演劇講師だ。生徒たちの多くは、国立演劇学校の受験を控えている。

遅れて病室へやってきた彼の母親クリスタル(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、以前に検査を受けた病院同様に、バンジャマンの病名はすい臓がんステージ4、余命は半年から一年だと伝えられる。彼には別れた妻との間に息子がいる。しかし妊娠が分かると、クリスタルは「息子の将来がある」と告げ、出産を否定。バンジャマンは「子どもを見捨てた」という後悔もある。だから息子には会ったことがない。

緩和ケアとして化学療法を受けることになるバンジャマン。自己との葛藤が続く。

演劇の指導は「メゾット」演技である。バンジャマンは、演劇を通して自分自身と対話しているようだ。

やがて、ドクター・エディの元で本格的に治療を受ける覚悟をきめたバンジャマン。

物語が進むにつれ、ブノワ・マジメルの表情が和らいでゆく。この演技と演出の見事な事。

悩むカトリーヌ・ドヌーヴの母親は、ドクター・エディから「全力と過剰は違います」と告げられる。それでも、彼女は19年前に身勝手から息子と自分が捨てた元妻へ連絡をとる。妻は会うことを拒絶するが、息子は一人で会いに行きたいという。

ミュージシャンとして独立している息子、そしてバンジャマンに恋心を抱きながら病室へ演技指導を受けに来る女の子、それぞれに存在感がある。

息子に会うことを躊躇するバンジャマンはいう。「オレは子どもを見捨てた。(会えば、死ぬことによって)また見捨てることになる」。

ドクター・エディの患者へのアプローチの仕方は、なんとも天使のようだ。

 

10月7日(金)公開。