大資本映画に毒されていたようなチャン・イーモウ監督が『あの子を探して』『初恋のきた道』(99)の頃に回帰したような名作。チャン・イーモウ版『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)だ。
時代は中国・文化大革命真っ只中の1969年。
風音。砂嵐の砂漠、そこに男がやってくる。砂の粒子が舞う。映像美が素晴らしい。『アラビアのロレンス』(62)のようだ。夕方、そして夜。
街の「農場ホール」から人々が出てくる。フィルム缶を持ったヤン・ホーが劇場から出て来て、バイクにくくりつけた袋にフィルム缶を入れる。
「少し飲もう」と彼は誘われ、“食堂”へ入る。
男は、バイクに駆け寄り、そして食堂へ。水道の水を飲み、干してある菜類を盗む。
食堂主が出て来て慌てる男。声をかける。
「映画は終わったか。本編前に、ニュース映画も?」
「自分で見ろ」
「どこで見られる?」
「明日は第2分所だ」
見ると少女がバイクに近づき、フィルム缶を1巻取って逃げる。男は追いかける。彼女を殴り、フィルム缶を奪還。戻ってくると食堂にはもう誰もいない。
薄暗い一本道。男が歩いてゆくと、少女が待ち構えている。そしてナイフを出す―ー。
もうゾクゾクするオープニングである。
これが二人の出会い。男は逃亡者である(チャン・イー)、少女は幼い弟と暮らす孤児リウの娘(リウ・ハオツン)。
翌朝の陽が照る荒野の一本道の場面なんかは『スケアクロウ』(73)のオープニングを思わす。
なぜ、男はニュース映画にこだわるのか。少女はフィルムに執念を燃やすのか。互いに事情がある二人。
映画が進むうちの観客に物語の事情がのみ込めてくる。ちょっとしたサスペンスもある。
全編、ワンカット、ワンカット、どこをとっても映画だ。そしてこれこそが映画だ。見ているうちに分かる。この映画は映画愛に満ちている。
リウ・ハオツンのおどおどする表情、クリクリと輝く瞳が素晴らしい。
チャン・イーモウは言う。
この作品を、映画を愛する全ての人に捧げたい―ー。
22年5月20日(金)公開