「午前十時の映画祭」。
今回は、TOHOシネマズなんばSELECTスクリーン(118席)に戻った。
画面が小さくなった。すこしがっかりである。ヒッチコック映画は人気がないのか。
来週の「北北西に進路を取れ」(59)もSELECTスクリ-ンですわ。
でも、いうてもやはり映画館のスクリーンは、違うのでうれしいわい。
この映画、本来は、パラマウント映画なのである。でも、パラマウントのマークの前にユニバーサル映画のロゴが出る。
ヒッチコックは、「ファミリー・プロット」(76)を最後に、1980年4月29日に亡くなっている。
次作に予定されていたのは「みじかい夜」(ハヤカワ文庫で原作が出ていた)という作品であった。
本来、ヒッチコックは、ユニバーサルともう数本制作する契約があった。
我々の世代にとっては、この「裏窓」(54)、「ロープ」(48)「ハリーの災難」(55)、「知りすぎていた男」(56)、「めまい」(58)は、幻のヒッチ映画といわれていた。
日本では初公開以来リバイバルされていなかったのではないか。
それがヒッチコックが亡くなったことによって、その権利が娘のパトリシア・ヒッチコックに移ったと当時聞いた。
で、契約が残っているユニバーサルの配給ということになったのである。
今回の配給は、ユニバーサル映画であるから、東宝東和だった。80年代にこの5作が“ヒッチコック・フェスティバル”という冠(だったと思うけど・・・)で再公開されたときには、UIP配給だった。
もちろん、この時は修復作業が行われたリマスター版だった。きれいな映像だった。
思い出した・・・70年代にも、ヒッチコック映画の日本未公開作品が連続公開された。
「海外特派員」(40)、「バルカン超特急」(38)、「第3逃亡者」(37)、「逃走迷路」(42)といった数々である。
配給は水野晴郎が主催していたIP(インターナショナル・プロモーション)だった。
この会社は、それまでにもルネ・クレールの「そして誰もいなくなった」(45)の初公開や、「太陽がいっぱい」(60)、「第三の男」(49)などを再公開していたと記憶している。水野さんに感謝だね。
ヒッチコック・フェスティバルの何作品かは、今はなき阪急プラザ劇場でみた。阪急電車の高架下。現在の紀伊國屋書店裏のロッテリアがあるあの一画がすべて映画館であった。ドット150方式だったかな。そんなのがうたい文句だった。ゆるやかなスロープのついた劇場。画面も大きかった。ロビーに、ガラスケースがあって、ここで公開された映画のパンフレットが展示されていた。「チャンプ」(79)が公開されたときには、“お泣き室”という簡易の化粧室をロビーに設置していた。
ヒッチコック・フェスティバルのお陰で、日本にもちょっとしたヒッチコック・ブームがやってきて、「北北西に進路を取れ」(59)などのほかの映画会社の作品も再公開され、劇場でみることができた。
さて、「裏窓」(54)は、もう説明することもない、映画の教科書ですね。
映画が始まると、大きな窓である。3つのブラインドが、フランツ・ワックスマンの軽妙な映画音楽に載って、左、真ん中、右と順番にゆっくりと開いてゆく・・・。
監督・アルフレッド・ヒッチコックと出ると、キャメラは窓に近づいてゆく。窓の下は、アパート群のちょっとした裏庭になっているのだ。裏庭の階段を黒猫が登ってゆく・・・(不吉な感じかな?)。キャメラの目線はビルを舐めるように上へ向かい、そして横へ、さらに下へと移動。そして再び窓辺へ向かうと、ジェームズ・スチュアートの額に汗が出ていて、体温計の温度が高いのが見える。暑いのだ。
窓の外の向かいのマンションでは、ひげを剃っている男。ベランダで寝ていた男が、目覚ましの音で起きると、枕を彼の足元に置いて、彼の妻も寝ている。そして、キャメラは上半身裸の女がブラジャーを付けているところを映して、体操しながら朝食の用意をしている姿を見せる。
再びジェームズ・スチュアートである。彼は車いすで寝ていて、足にギブスがはまっている。「L・B ジェフリーズ 骨折」と書いてある。キャメラは、机の上の壊れたカメラを映し出す。その向こうには、レーシングカーが大破して、こちらへ向かってくる写真。その向こうには、火事や火山の噴火の報道写真の数々・・・そして女の人(グレーズ・ケリー)の反転して写っているネガ。その写真が表紙になっている雑誌が積まれている・・・というオープニング。もう目でただただ見ているだけで、ナレーションもなしに、この映画の設定がすべて分かるというみごとな語り口。これが教科書といえる所以です――。
ジェームズ・スチュアートは、車いすで動くことができないから、毎日、裏窓からそこに住んでいる住民の観察をしている。彼には、彼との結婚を望む美人のモデルがいる。それがグレース・ケリーだ。
グレース・ケリーの美しさについて、いまさらいうこともあるまい。特に、本作品と「ダイヤルMを廻せ!」(54)、「泥棒成金」(55)という一連のヒッチ作品での美しさは、それぞれに違う魅力がある。彼女のファッションも見どころです。
彼女の登場シーンがいい。夜、ジェームズ・スチュワートが寝ている。そのワンショットに人影が映る。グレース・ケリーのバストショットが近づいてくる。そしてコマ落しのような映像で、スチュワートにキスをする。
いいんですね。ちなみにジェームズ・スチュワートという役者は、誠実な役者で、日本でいえば長年、小林佳樹だと密かに思っていましたよ。そうしたら、最近、立川談志さんが著作で同じことを指摘していました。
やがて、ジェームズ・スチュワートは、向かえのアパートの住民で大柄なセールスマン(「鬼警部アイアンサイド」のレイモンド・バー。アイアンサイドは、車いすにのっていた! 吹き替えは若山弦蔵)が、いつも口論の絶えない病身の妻を殺したのではないかという疑問をもってしまい、いろいろと独自に調べていくうちに・・・というサスペンスである。が、ヒッチ一流のユーモアがふんだんに盛り込まれている第一流の映画である。
向かいにあるアパートでの映像の音声は、ジェームズ・スチュワートには届かない。だから、サイレント方式の演出がいかにも、名人芸です。
友だちの刑事の名前がドイル。シャーロック・ホームズの作者コナン・ドイルからかな。考えすぎか。
ヒッチが自らの映画に必ず一か所登場するのは有名な話で、観客はそれを楽しみにしている(我々などは、もうどの映画に、どこに出てくるか知ってるので、この楽しみは半減ですわ)。しかし、大阪の客は野暮ですね。ヒッチが登場したら、「あ、ヒッチコックや!」。言うなよ!
残念ながら、ヒッチコックもジェームズ・スチュワートもグレース・ケリーもレイモンド・バーもすでにこの世にはいない。しかし、作品はある。映画が芸術であるゆえんである。
3月10日、鑑賞。