皆さん、初めまして。

パチンコ生活者のギーです。

少しだけ自己紹介します。

生まれは約50年前の新宿。両親の出会いは歌舞伎町の当時の鉄火場である雀荘と言うだけあって生粋のばくち打ちです。

親が家に帰ってこないので子供のころから雀荘やパチンコ屋に入り浸っていました。

まあ両親がどっぷりなので自然とね(笑)

中学のころになると近所のパチンコ屋で夕方一般台(このころはそれしか無いですが)の開放台を中心に立ち廻り小遣いを稼いでいました。

思えばその頃からパチプロ生活です。

高校になると友達間で新装開店情報を共有したりしてもう立派な開店プロ集団の一員でした。

丁度フィーバーやブラボーが世に出たパチンコ革命の頃で数々の裏ものもあったいい時代です。

まあ当然ゴトもやりました。換金率の高いホール(当時の新宿アラジンとかはそのころから等価でした)に40玉交換のホールから出玉を運んで交換したり。

台鍵を盗んで一発台で開けて大当たりに入れたり。

まあ一番やったのはやはり台鍵で台を開けて釘を思いっきり(親指大くらいね)あけて何食わぬ顔で遊戯したり。これはチームで別れて釘あけ係は単独で稼働しないで数台釘あけする。それを関係ない第三者として稼働チームが打つ徹底ぶりでしたね(笑)。

同じホールでは二度としないのでで足はつかなかったですね。

こんな風に書くとすごく悪い奴みたいだけど、昔なんか裏ものばかりでメーカーもホールも、もっとろくでもないこと平気でやってる時代だったですよ。

なのでそいつらから金を奪い取るリアルガチプロっだったわけです。

もちろんパチンコで勝つ理屈ははじめからから知っていましたね。

今のガチプロみたいに細かい計算はしませんでしたけど。

 

 

その頃親父が雀荘を経営していたので高校の夏休みなんかは雀荘の手伝いをしていました。

まあメンバーってやつです。負けても自分持ちでは無かったですけどね。

麻雀は自分で言うのもなんですがかなり強かったです。

が、どうもパチンコの魅力に勝てずにこの道になりました。

麻雀では親父に勝てないと思い知ったせいもあるかもしれません。

まあ麻雀のことについてはいづれ書くことがあるかも知れません。

 

25.6のころだと思いますけどスカパーを親父が買ってきてパチンコCHをお試しで観ました。

そこで和泉純さんを知りまた開眼しましたね。衝撃でした。。

そのころは今と違って普通にパチンコ講座的な番組があったのでパチプロが雨後の筍のように増えたのは言うまでもありません。

まあ私もその辺からちゃんと収支をつけて期待値の計算をするようになりましたけどね。

 

そして現在に至るわけです。

また、おいおい更新するので読んで下さい。

〆は尊敬するパチプロのデラとよまるさんのブログをまねて、

合掌。