マスコミ(TBS)の取材を受けて考えたこと | 曇りときどき晴れ

マスコミ(TBS)の取材を受けて考えたこと

取材しにやってきたTBSのディレクターは悪い人ではなかった。
むしろ、すごくいい人のように感じた。
けれど、組織としてのマスコミはやはり怖い。
カメラで撮ったものを視聴者を意識して編集してしまえば、
観るひとに、取材を受けた人間が言ったことと全く逆の印象を与えることも可能だからだ。

基本的に、マスコミの「正義は我にあり!」というスタンスが好きではない。
大きな災害や事故の報道を観て思うが、取材対象への配慮がない点が好きではない。
記者クラブのような、閉鎖的な特権制度を持っている点も嫌いだ。

毎日、事件、事故は起きている。
ただ、いつどこでこんなことがありました、みたいな報道だけなら、通信社のニュースで済む。
本来、ジャーナリズムというのは、あるテーマに対し時間と労力をかけて現場で取材し、
責任を持って署名で記事を書くことだと思う。


そういえば、4年ほど前、朝日新聞が電波媒体を使って、胡散臭いCMを流していたのを思い出す。

「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている言葉のチカラを。
ジャーナリスト宣言。朝日新聞。」

文字にしてみると、繰り返しと倒置法によって「言葉」というコトバを強調しているのがよくわかる。また映像やナレーションを省いてみると、朝日新聞のやる気より、
コピーライターの気負いの方が気になってしまう。

実際、言葉はそんなにチカラのあるものなのか?
言葉は単に道具であり記号である、私はそう思っていた。
道具は使う人や使用法によっては武器にも身を守る盾にもなるし、
たんなる騒音やゴミになったりもする。
つまり言葉は、使い方次第ということ。
でも朝日新聞は、なぜ当時「言葉を信じる」とあんなにも大声(コストをかけて)で
叫ばなくてはならなかったのだろう?
サンゴ事件のキズがまだ癒えていなかったのかなあと邪推してしまう。

声の大きな政治家や営業マンが、何か重要なことを隠しているようで信用できないのと同じだ。

朝品新聞のコピーにある「言葉」というコトバは、異なるコトバのほうがしっくりくる場合がある。
たとえば「宗教」、「お金」、「政治」、「権威」、「マスコミ」、「マニフェスト」・・・、
「言葉」がなんだかいちばん場違いに感じるなあ。

ついで言えば、朝日新聞のCMは、次にこんなコピーに変わった。
「言葉に救われた。言葉に背中を押された。言葉に涙を流した。言葉は人を動かす。
私たちは信じている言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞。」

どうですか?
私が朝日の人間だったら恥ずかしいなあ、こんなCMバンバン流されていたら。

以前からマスコミの方に質問したかったのだけど、
「真実」と「事実」と「現実」の違いについて教えてほしい。