2010.1.1 Happy New Year | 曇りときどき晴れ

2010.1.1 Happy New Year

あめ早いものでもう2010年。
あのミレニアムの喧騒(世界中でカウントダウンが行なわれていた)から10年もの時間が過ぎた。
早い速いはやい、とは言え、ある意味時間が過ぎていくスピードは主観的なもの。
現実には遅く感じる時もあるし早く感じる時もある。
一般的に快楽の時間より苦痛の時間の方が長く、能動的であるより受動的である方が長く感じられる。
それに若い時よりも年齢を重ねてからの方が同じ長さの時間を経験しても短く感じるように思う。
フランスの哲学者アンリ・ベルクソンは、1896年に上梓した「物質と記憶」の中で、
「純粋な現在とは、未来を喰っていく過去の捉えがたい進行である。
実を言えば、あらゆる知覚とはすでに記憶なのだ。」と述べている。
難しいけど、人間はタイムラグの中に生きていて、今起きていることを感覚で捉え、
それをデータベース化するため記憶に変換する作業を常に行なっているということらしい。
ちなみに人間の身体の中(脳を含め)には、記憶(=過去の感覚)をそのままずっと保存するための
メモリーデバイスにあたる部位はない。
人間の細胞は、数週間から数カ月で完全に入れ替わってしまうので、
記憶も細胞と一緒に体外に排出されてしまうのだ。
では、なぜ完全に記憶がなくならないのかと言えば、すべての細胞が一度に入れ替わるのではなく、
ジグソーパズルのピースが少しずつ脱落し、またもとのピースとそっくりのものと置き換わるから。
あるピースがなくなっても、それがどのような形だったかは周りのピースから類推することができる。
何度も繰り返し想起される記憶は、他の記憶との連携も手伝って強化されていくため、
容易に忘れたりしない。けれども細胞が入れ替わるごとに少しずつ記憶は変化していく。
たとえば10代の頃に経験した失恋の辛さ(感覚)は、5年、10年と時を経るうちに、
まるでワインの熟成が進むかのように少しずつ甘酸っぱい記憶へと変化して行く。
年をとると感覚が衰えてしまい、記憶の世界に生きるようになる。
「昔はよかったなあ」そう感じる頻度が多くなってきたら、老化が進んだ証拠だ。
私はもちろん、かなり自覚症状があります。

私の会社は今年10年目を迎える。
振り返ってみると辛いことはあまりなかったように思う。
それに今ほど業界内の競争は激しくなかったし景気も悪くなかった。
だからついつい、以前の方が努力の量と成果の比例関係が強かったと考えてしまいがちになる。
でもきっと昔は昔でたいへんだったにちがいないし、今もそれはあまり変わらないはず。
何といっても記憶は自分をもだましてしまうのだから。
そう言えば創業以来ずっと年末年始も一日も休まず御徒町の店を開けている。
そう、この文章を紡ぎだしているのは御徒町店の奥にあるパソコン。
「正月ぐらい休んでも何も変わらないのに。」、そうかもしれないけど、
創業したころは、正月やお盆やゴールデンウィークを休むことさえ怖くてできなかったのだ。
毎年一人で静かな店内で時間を過ごしていると、日常に追われつい忘れそうになっていた
会社の原点を比較的正確に思い起こすことができる。

楽しいことばかりではないし、難しいことばかりだけど、
自分だけではなく自分と関わりのあるすべての人がハッピーになれるよう努力したい。
これが2010年最初の日である今日立てた今年の目標。
一年の計は元旦にあるっていうけど、いったいいつまで覚えているのだろうか?