O氏のこと その4 | 曇りときどき晴れ

O氏のこと その4

O氏が緩和医療センターに移ってから、1か月近く過ぎた。
私は週に2~3回、O氏の見舞いに行っている。会うたびに衰弱していくのがわかる。
見ているのが辛くなるほど、その衰弱ぶりは激しい。

2週間前、外出許可が出たのでO氏を奥さんの入所している施設に連れて行った。
もう自力で歩くことはできず、専ら移動は車椅子に頼らざるを得なくなっていた。
それでも疲労は激しそうだった。
その日、O氏が奥さんに会うのは2カ月ぶりのことだった。
O氏の奥さんは、数万人にひとりの割合でしか発症しないと言われる線条体黒質変性症という奇病だ。
発病から数年で身体が全く動かなくなってしまう脳の病気で、
O氏の奥さんも8年ほど前から、発話や食事や寝返りをうったりすることはもちろん、
僅かでも自分の意思で手足を動かすことさえできなくなっている。
自分で動けないので、2~3時間おきに体位を変えなければすぐ辱蒼(床ずれ)ができてしまう。
奥さんも数度辱蒼になり、傷口の両側から皮膚を引っ張ってきて縫い合わせる手術をしたこともある。
5年ほど前、奥さんの脳のCT画像を医師から見せられたが、まるでレンコンかヘチマのように、
脳の断層がスカスカになっているのが素人目にもよくわかった。
医師はCT画像を見せながら、「こんな状態ですから、奥さんはもう意識がないと思いますよ。」
そう冷たく言い放ったのを思い出す。

私が奥さんの入所している部屋に車椅子を押して入ると、
O氏は奥さんの手を握り、下を向いて振り絞るように奥さんの名を呼び、
「僕だよ、わかる?」と問いかけた。
信じられないことだが、意識がないはずの奥さんが小さな嗚咽をもらしたかと思うと、
目からひと筋の涙をすーっと流した。
目の不自由なO氏にはそれを見ることはできなかったはずだが、
握っている手から奥さんの感情が伝わったのか、
「長い間、来てあげられなくてごめんね。」と囁いた。
そばにいた看護師が、奥さんの涙をティッシュでそっと拭った。
そのあとからまた涙がひと筋流れた。
それからO氏は言葉を交わさずにじっと奥さんの手を握っていた。
10分ほどして、O氏は僕に「ありがとう、さあもう行こう」と言って、私を促した。

それから1週間ほど後には、O氏はほとんど食事を摂ることができなくなった。
ゼリーをスプーンですくって口元に運ぶとゆっくりと食べるが、それも3~4口だ。
すぐに「もう食べられない」と、手を左右に振る。

せめてあと一度、「さようなら」を言うためにO氏を奥さんに会わせてあげたいと思うが、
難しいかもしれない。

ところでO氏が入院しているのは、千葉県がんセンターの緩和医療センターという施設だが、
O氏が入院してからO氏の現金が少なくとも2回にわたり、計15万~20万円ほど無くなっている。
O氏は、現金を入れた財布をカギの付いたセフティボックスに入れ、
そのカギをベッドサイドテーブルの上に置いたトランジスタラジオの取っ手部分に絡ませておいていた。
最初に現金が合わないと言ったのは入院から1週間が過ぎた頃だった。
その段階では、私はO氏がいったいいくら手元に持っているのか知らなかったので、
O氏の勘違いのせいではないかと思っていた。
それでその時、改めて財布の中身を私が確認した。
いくらどのようにして入っていたかもはっきりと記憶している。
もちろん、その時は現金が本当になくなっているなんてことは考えてもみなかった。
ところが次の週にO氏といっしょに確認してみると、12万円無くなっているのがわかった。
O氏はモルヒネの注射の針が常に刺してあり、一定時間経つと自動的に薬が入るようになっている。
また夜眠れないので、緩和医療センターに入院する前から睡眠薬を服用している。
だからO氏は昼でも眠っている時がある。
こうした情報を知っているのは、医師か看護師か掃除婦の誰かということになる。
もちろん、他の入院患者やその家族も怪しいと言えば怪しいが、
死を目前に控えた患者やその家族が他人をお金を計画的に盗もうとは思わないはずだ。

要約すると、怪しまれずにいつでもO氏の部屋に入ることができて、薬の効き具合が理解できていて、
セフティボックスのカギの置き場所を知っている人間に限定される。
お金が盗まれたことはたいへんなことだが、死と向き合う(つまり生とは何なのかを突きつけられる)
緩和医療センターで盗犯の常習者がいることに怒りと嫌悪感をおぼえるし、
そういうスタッフのいる病棟でO氏が最期を迎えなくてはならないことが残念でならない。