1985 | 曇りときどき晴れ

1985

先日、道頓堀で、ケンタッキーフライドチキンのマスコットであるカーネル・サンダース人形が発見された。

「カーネルおじさん」として親しまれているが、本名はハーランド・デビッド・サンダースという。

カーネル人形は、1985年10月、21年ぶりに阪神タイガースのセリーグ制覇が決定した日、

阪神ファンが胴上げをしながら道頓堀に投げ込んでから行方不明になっていた。

カーネル人形が道頓堀川に投げ込まれた理由は、この年の阪神優勝の立役者となった、

ランディ・バース選手に似ていたためファンが胴上げをしたと言われているが、

真偽のほどはわからない。

あの日、戎橋から道頓堀川に飛び込んだ阪神ファンは(記憶では)300人を数えたと言う。

この年を最後に、阪神タイガースは20年以上日本一から見放されているが、いつ頃からか、

「カーネル・サンダースの呪い」と呼ばれるようになったという。


1985年10月16日、私は広告の仕事で大阪にいた。

大切な話をしていたのだが、ヤクルトとの最終戦が始まると、商談どころではなくなった。

いつの間にかオフィスにテレビが運び込まれ、30名ほどの社員全員が「歴史的瞬間」を一目見ようと、

目を血ばらしらせながら、18インチサイズの画面に釘づけになっていた。

私は試合が終われば商談は再開してもらえるものと安易に考え、

オフィスの隅で、忘れ去られた猫のように村上龍の「テニスボーイの憂鬱」を読みながら、

試合が終わるのを待っていた。


どのようにして試合が終わったのかわからなかったが、ものすごいどよめきがオフィス中に響き渡った。

私が商談で来ていた会社だけではなく、ビル全体がコンサート会場のように「うぉー」をいう声に包まれれたのだ。

やがてビールが運び込まれ、酒盛りが始まった。

「やれやれ」

仕事にならないと判断した私は、ビルの外へ出た。

通りは人であふれかえり、見知らぬ人が何人も「ばんざーい」と叫びながら抱きついてきた。

ビルから心斎橋駅までふつうなら10分程度で着けるのに、その日は30分以上かかった。

その間、ずっとどこからか「六甲おろし」が聞こえていた。

肩を組んで、「もう死んでもええわ」、「生きててよかった」と泣き叫ぶように「六甲おろし」を歌う人々を

泳ぐようにかき分けて駅までの道のりを必死に歩いたのを思い出す。

京都の四条に向かう阪急電車の中でもあちこちで酒盛りが行われていた。


阪神の優勝だけではない、1985年、改めて調べてみるといろんなことがあった年だ。


でも阪神タイガースの日本一は、明るい話題の横綱と言える。

4月、バース、掛布、岡田のクリーンアップが、巨人の槙原から、

3者連続でバックスクリーンにホームランを放った。

あのバックスクリーン3連発だけでも、阪神ファンは「生きててよかった」と思える事件だったという。


一方、暗いニュースの代表は、8月の日航機墜落事故だろう。

生存者4名、死者520名という、航空機事故史上最悪の事故だった。

他にグリコ・森永事件の犯人が終結宣言を行なったり、マスコミの眼前で行われた豊田商事永野会長刺殺事件、

投資ジャーナル事件、先日拘置中に自殺した三浦和義被告によるロス疑惑事件などが起きている。


松田聖子と神田正輝の結婚、女優夏目雅子が白血病で死去、田中角栄元首相が脳梗塞で倒れたのもこの年。

先日、NHKでドラマ化され、ブームになっている白洲次郎もこの年に亡くなっている。


個人的には、ミノルタが世界初のオートフォーカスカメラα7000を発売したことや、

ライブエイドコンサートが開催されたこともトピックだった。


ライブエイドは、世界的に有名なロック・ポップミュージジャンが集い、イギリスのウェンブリースタジアムと、

アメリカのJFKスタジアムの2会場で開催された世界最大規模のチャリティコンサート。

レッドツェッペリンのドラムをフィルコリンズが務めたり、

エルトン・ジョンの名曲「Don't Let The Sun Go Down On Me」をワム!のジョージ・マイケルが歌ったり、

ミック・ジャガーとティナ・ターナーがデュエットしたり、

ポールマッカーニーが「Let It Be」を歌っているときにマイクの調子が悪くなったことなど、

ありえない組み合わせのパフォーマンスや、ぶっつけ本番のライブならではのハプニングさえなつかしい。

解散寸前と言われていたクイーンがこのライブエイドによって、

再浮上するきっかけをつかんだとも言われている。

YOU TUBEにも多くの映像がアップされているので、機会があれば見てほしい。


カーネル人形が発見されたお蔭で、遠くなりかけていた1985年が、少し身近に感じられた。