百貨店のあかるい未来 | 曇りときどき晴れ

百貨店のあかるい未来

百貨店業界が販売不振に陥ってから長い時間が過ぎている。

バブル崩壊の1991年を境に業績が悪化しだしたので、立派な「構造不況業種」と言って差し支えないと思う。

百貨店の売り場は、地階が食料品、1階が化粧品と低価格帯のアクセサリー、

2階から上が婦人服、紳士服、雑貨、高級時計・宝飾品、そして催事場で構成されている。

各フロアのいちばん目立つ場所に、有名ブランドショップを配している。

三越、高島屋、大丸、松坂屋・・・、どの地域にあるどの店に入っても、売り場構成やブランド構成はほぼ同じだ。

買い物が終わって包装紙に包んでもらった時点で初めて、どの店で購入したのかを意識することになる。


「百貨店」というからには、文字通り、百に及ぶジャンルの幅広い品ぞろえを行なっていなければならない。

今は、意味を考えながら「百貨店」という文字を見ると少し哀しくなる。

私がまだ幼なかったころ、百貨店は本当の意味で「百貨店」だった。

我が家は貧乏だったから、お中元とお歳暮の時期にだけ、町の目抜き通りにあった百貨店に出かけ、

満員電車のように混み合った店内を迷子にならないよう、両親の手をしっかりと握って、

売り場から売り場へと必死に移動した記憶が焼きついている。

買い物を済ませ、最上階にあった食堂で食券を購入して「ライスカレー」や「オムライス」を食べ、

それから屋上にあったミニ遊園地で遊んだ。

写真が趣味だった父はカメラ売り場で足を止めてニコンの新製品に見入り、

洋裁をしていた母は、ツイッギーの影響で時の総理大臣(佐藤栄作)夫人まで身に着けるようになった

ミニスカートをショーウインドー越しに食い入るように見つめていた。

最後に家族全員で家電売り場に向かい、家具のように荘重なデザインのカラーテレビを眺めてから

帰路についたのを思い出す。

午前中に出かけたのに、帰宅したときにはあたりは薄暗くなっていた。

40年も前のことだ。


百貨店。

百種類もの商品を販売しているわけではないのから、デパートという名称の方がしっくりくる。

デパートは、デパートメントストアの略称で、もちろん日本がオリジナルではない。

1852年、パリに世界で最初のデパートメントストアである、ボンマルシェが誕生した。

ボンマルシェのコンセプトは、「掛け売りなしの対面現金販売を行なう大規模店舗」というものだった。

つまり当時の大規模店舗は「掛け売り」販売が主流だったということである。


今から105年前の1904年、越後谷呉服店が三越の店名でデパートメントストア宣言を行なったのが、

日本における百貨店の初まり。

店頭における販売は現金を主体にし、外商が担当する上顧客に対しては呉服屋時代からのノウハウである、

掛け売りを採用することで旧来のビジネスモデルとの折り合いをつけている点がいかにも日本的である。

百貨店のルーツは、三越のような江戸期の呉服屋を母体とするものと、

小田急・阪急・東急のように鉄道を母体とするものとがあるが、基本的にビジネスモデルは同じである。

なお店頭においては店側が定めた以上の値引き販売は行われないが、

外商から顧客が購入する場合は逆に定価販売が行なわれることの方がレアである。

外商は、決算期の売上不足を補うための数字をつくる役割=「押し込み販売」を担っているため、

顧客との関係が相対的に弱くなり、必然的に「値引き」という麻薬に手を染めざるをえないという、

構造的な問題点を抱えている。

バブル崩壊後の一時期、決算前に上顧客に帳簿上で販売し決算後に返品処理を行なうという、

「架空売り上げ」が常態化していたが、外商ならではの裏ワザである。


値引き販売を行なければならないという外商の宿命を逆に取って考え出されたのが、

「ごほうび」作戦だと言われている。

定価がはっきりしている商品は、値引きをするとその分だけ百貨店側の利益が減少するが、

価格決定要因があいまいな商品を推奨販売することで、逸失利益を小さくすると同時に、

見かけの値引き率を大きくすることで顧客の満足度も高めることが可能だった。

「ごほうび」の「ご」は「呉服」、「ほう」は「宝飾品」、「び」は「美術工芸品」。

いずれも原価がよくわからない商品である。

「呉」と「宝」と「美」をたくさん販売することで、百貨店に文字通り「ごほうび」をもたらしたわけである。


100有余年にわたる歴史を持つ日本における百貨店は、長きにわたり名実ともに流通業界のキングだったが、

今はスーパーやコンビニ、さらには家電量販店にも後塵を拝するようなありさまだ。

大店法や消防法などの法規制や、モータリゼーションの発達によるショッピングエリアの変化など、

外的要因も大きいが、百貨店業界のあまりの保守的で官僚的な放漫経営が凋落の最大の原因だ。

この数年、生き残りをかけ業界再編が進んでいる。

三越伊勢丹ホールディングズ、Jフロントリテーリング(大丸+松坂屋)、ミレニアムリテーリング(西武+そごう)、

エイチツーオーリテーリング(阪急+阪神) + 高島屋。

では合併することが本当に次世代のデパートメントストアを創造することにつながるのだろうか?


コンビニエンスストアと異なり、デパートメントストアという業態には「規模の経済」が効かない。

扱っている商品のプライスゾーンが高く、ターゲットにしている顧客層の嗜好があまりにも多岐にわたる上、

対面販売中心という労働集約型のビジネスモデルであることがその理由だ。

店名を同じにすることで広告宣伝費などの間接コストは集約できるが、

よほどドラスティックな商品政策をとらない限り仕入れコストはほとんど下がらない。

売り場面積の増大も、コストの増大に比例した売上・利益拡大には結び付かない。

大阪駅周辺では売り場面積の増大戦争が行なわれているが、

商圏内の顧客数が増加したり、一人当たり消費支出が増大するというこも考えられないので、

どこかが勝ち組になってどこかが負け組にならざるをえない。

つまり利益なきシェア競争=ゼロサムゲームがさらに大規模になるだけのことだ。

ゲームの脱落者は吸収合併の対象になるか、倒産することになる。


アメリカにも多くのデパートメントストアがある。

ニーマンマーカス、サックスフィフスアベニュー、ブルーミングデール、メイシーズ、ノードストロームなどが

日本でも知られていると思う。

(個人的にはJCペニーがデパートメントストアに含まれるとは考えにくいので、あえて除外した)

デパートメントストアは、日本にチェーンストア中心のリテールマーケティングが紹介された際、

「専門大店」と訳された。ファッショングッズを中心として扱う大型店舗のことだ。

こちらの方が意味を考えるとしっくりくる。

日本のデパートとの違いは、食品の取り扱いの有無だけと言ってよい。

ただプレゼンテーションの技術の高さや、カラーバリエーションを美しく見せる圧倒的なボリューム陳列は、

日本とレベルが違う。

たとえばノードストロームの靴売り場を見たことがある人ならば、売場を見ただけで、

「感動する」という意味を理解してもらえるはずだ。

売場の適当な販売員に声を掛けて、自分がほしいと思っている靴のデザインと色とサイズを言えば、

即座に数足の靴を持って来てくれるはずだ。そしてひざまずいてシューフィット作業に入る。

私は、50歳代のマネージメント層と思われるスタッフに声をかけたのだが、

彼自身が私のひどい英語に耳を傾けた上、靴をセレクトしてていねいにフィッティングしてくれた。

同じことを日本の百貨店でもテストしたことがあるが、エライひとは自分では動かない。

近くにいるスタッフを呼んで私の希望を聞くように指示したり、

ひどいのになると30メートルほど離れた販売員を指差し、「あの人間に聞いて下さい」と言われたこともある。

本社の役員が売り場のチェックにやって来ている時はひどい。

後ろ手を組んでお客を押しのけるように通路の真ん中を数人の部下を引き連れながら堂々と歩いている。

売り場の販売員が恭しく挨拶するのを、軽く会釈しながら睥睨するように見ながら通り過ぎていく。

変わらなくてはならないのは、マネージメント層だ。

役員が週に一度は売り場に立って顧客のに耳を傾けなくては、問題点の本質は見えないだろう。


ホスピタリティの向上とともに百貨店が行わなければならないのは、売場のSPA化だと思う。

自分たちで販売するモノを自分たちの責任でつくる。

洋服だけではなく、バッグやアクセサリーも含め、「ファッションとは何か?」を

お客にも自分たちにも問いかける売り場を創造できれば、

コンセプトのないセレクトショップのような百貨店からは少しは良くなる可能性がある。

少なくとも全売り場面積の1/3をSPA化することで、利益構造は全く異なるものになるはずだ。

もちろん流通業ではなく不動産業になって久しい百貨店にはかなるハードルの高い注文ではある。