三貴(ジュエリーマキ)民事再生法申請について Part4
1989年10月、私は業務本部宝石商品企画部に異動になった。
業務本部は、木村和巨社長自らが本部長を兼ねる直轄部署で、宝石商品企画部の他、婦人服商品企画部、
子供服商品企画部、販促を担当する業務企画部、広告と店舗設計を担当するジェイハウスと、
全部で5つの部に分かれていた。
木村のデスクは、部屋の隅々までが見渡せるフロアのほぼ中央に位置し、会議や外出がないときは、
ほぼ業務本部フロアで稟議書にサインをしたり、各部からの報告を受けたりしていた。
当時の三貴は、宝石の他、婦人服、子供服の専門店を展開するマスマーチャンダイジングチェーンストアで、
アメリカで開発されたリテール(小売業)マーケティング理論を元に、独自の経営手法を開発していた。
ちなみにチェーンストアとは、ひとつの資本のもとで11店以上の店舗が最適に運営されるよう、
仕入、販売、販促、物流、人事管理などを本部が統一的に運営する仕組みを言う。
「11店舗」という定義は、だいたいこのくらいの店舗数を境に、店舗マネージメントの方法がガラっと変わるからと、
チェーンストアの教科書には書いてある。
マスマーチャンダイジングチェーンストアは、200店舗以上を指す。
チェーンストア理論を細かく述べると本が何冊もかけてしまうので省くが、
三貴はこのマスマーチャンダイジングチェーンストア理論を下敷きに、
原材料の仕入れから製造、販売まですべての工程を自社で行なうという、垂直統合ビジネスモデルである、
独自のコンストラクチャル・コンセプト・マーケティング(CCM)を、経営の柱としていた。
現在ユニクロがSPAという業態で実現しているビジネスモデルとほぼ同一のものと思っていただいていい。
宝石事業では今回のように事実上の倒産となってしまったが、アパレル部門をうまくコントロールできれば、
また能力のある経営者に恵まれれば、ユニクロと同レベルの企業になっていた可能性もゼロではない。
残念だが、木村は起業家としての能力はあったのかもしれないが、
マーケットの変化に合わせて事業モデルを変えるというようなフレキシビリティがなかった。
何より性格に問題があり、理性的な意思決定ができない。
世の中の進む方向と彼の考え方の方向に合致している時には、信じられないほどスムーズに成長するが、
ズレができてきたとき、彼には自分の考え方を修正することができない。
自分に自信がありすぎて、人の言うことも信用できない。
事業を行って、成功すればすべて自分の能力の高さのせいで、失敗したらすべて部下の責任、
という考え方が徹底していた。
責任をとらせるとは、事実上の解雇になるだけではなく、事業の失敗によって被ったと思われる金額を
無理やり算定して損害賠償訴訟を起こすということだ。
キレると、鬼気迫る怒り方をする。その上、常識では考えられくらいに執念深い。
最近、パワーハラスメント、略してパワハラという言葉をよく聞くが、木村からパワハラを受けた人間は、
世間のパワハラなんて蚊が刺した程にも感じないと思う。
木村の考え方と世の中の方向性のズレが顕在化してきたのが、私が宝石商品企画部に在籍していた、
1989年~1992年にかけてではなかっただろうか?