突然、ふと思った。

カフェインは断たなくても良いのではないか?と。

そもそも、このブログを始めた動機は

カフェインをいかにして断ち

健康になるのかを記録したかったから。


ブログのタイトル

カフェイン断ち


現在のブログの説明

これまでカフェインを大量摂取してきました。
缶コーヒーは1日最低2本、
その他にも栄養ドリンクやエナジードリンク・・・
カフェインがなければ全く動けなかった。

カフェインで目覚め、酒で寝る。
この不健全な繰り返しを断ち切りたい。

そんな思いでカフェイン断ちを始めました。

カフェインの離脱症状に苦しみながら
「健全な気力」を取り戻そうともがいています。



そもそも、私はなぜカフェインを断ちたかったのか?

それは、健全な気力や意欲を回復させたかったから。

では、健全な気力とは何ぞや??


おそらく、自然と色々なことがやりたくなって

体が勝手に動いてしまうみたいな。

私はそんな状態を健全な気力と意欲に溢れている状態だと思っている。


つまり、カフェインを断つことが目的なわけじゃなく

気力充分、元気溌剌みたいな状態になることが目的だったわけ。


その手段として、カフェインを断とうと思っていたんですね。カフェインで無理やり元気を出すのではなく、自然と元気になろうと。




さっき突然、ひらめいたというか、気付いた。

手段と目的がごちゃまぜになっている!!と。


目的は、「気力溢れる私」「いつでも安定して元気でやる気な私」になること。

カフェインを断つことではない。


というか、そもそも手段が間違っていないか!?


カフェインで元気出さなきゃ何もできないのだったら、そもそも何もしないことが正解なのではないか。

だってやりたくないんだから。

本心では「やりたくなーい😣」と思っているけど、「やらなければならない」ことだから、どうせなら元気一杯にこなしたい、みたいな。

欲求がとても複雑に折れ曲がっているのだ。


これがしたい→だからやる!

という感じにまっすぐでない。


これがしたいわけではない→だけどやらなければならない→当然やる気でない→眠いし怠いからカフェイン摂ろ→ちょっとやる気出てきたから無理矢理やってみよう→できた!→異常に疲れた→何もしたくない→だけどやらなければならないことがある→・・・無限ループ



カフェインとかの問題じゃなく

私の考え方の問題だったのではないか?

とふと思ったのである。


欲求をまっすぐにする癖をつけたら

どうだろうか。


つまり


やりたい→だからやる!

やりたくない→だからやらない!


これを続けていけば

変なところで消耗せず

気力も出てくるのではないか。



まず手始めに、

コーヒーが大好きで飲みたいのなら飲む。

カフェインが体に悪いから飲みたいけど我慢

するんじゃなくて、飲みたきゃ飲むっていう癖が必要なのではないかと。


これは、初志貫徹できなかった

というわけではなく

方針の変更なので罪悪感は持たないようにしたい。



やらなければならないことなんて、実は何もなかった。

仕事辞めてみて気付いたけど

別に仕事しなくても大丈夫だった。



自分がやりたいと思っていると思い込んでいたことも、実際のところ、本当はやりたくないのかもしれない。


今コメダ珈琲のケーキが食べたいと思っているけど、出掛ける準備をしたくないとも思っている。そう思うと、本当にしたいことは何なのだろうか?出掛けずに家にいること?着替えて身支度してケーキを食べに行くこと?

これがわからない。

自分のまっすぐな欲求がわからないのだ。

今まで、やりたくないけどやらなければならないから頑張ってやってみるという体験ばかりで。

「コメダ珈琲へ行ってケーキが食べたい」のか

「着替えず外出せず家でのんびりしたい」のか

これがはっきりしないのだ。


これが、人生の要所要所で行われる小さな選択の

意思の不明瞭さに繋がっていて

自分のやりたいことと

やらなければならないことが

こんがらがっている気がするのだ。


まずは、【やりたくないことはやらない】

を徹底したい。