こんばんは




今日はどのような経緯で
フラワー講師になったのか
という質問がありましたので
書いてみようと思います。





といっても

小さな町で
地元中心に活動しているわけですから
そんな大袈裟なことではないのですが。爆笑

しかし
フラワー講師になる前の
職業というのは
少なからず影響を受けているのではないかと
思います。

なので、活躍している講師先生の
経緯には
ワタシも興味があります。


ワタシの場合は前職は
長年病院で働いていました。


今とはまるでちがう世界にいました。

時々自分でも驚きます😅


花にかかわる最初のスタートは
生け花を習っていました。
まだその時は独身でした。

その生け花の師との出会いから
フラワーアレンジメントの世界を知り
興味があり幅を広げたく
フラワーデザイン教室を探して
自分の波長の合う師に出会えました。

今思えば、生け花にしても
フラワーデザインにしても出会いは
とても大きかったです。

フラワーデザインを学び始めた頃は
結婚していて子供もいて
仕事もフルタイムでしていましたが
余計な時間はなかったのですが
休日出勤の振替代休などを活用して
レッスンに通いました。
それが唯一自分だけの時間でしたので
楽しみの時間でした。
忙しいから時間がないと
よく聞きますが
時間はどうにか工夫すれば
作れないことはないと思います。

それでも
レッスンに行けないときもありましたが
やめようとは思いませんでした。

各種資格も好きが高じて取得してきました。


フラワーデザインをスタートしてからは
もう約25年?近いかもしれません。

そんなわけで長年働きながら
学びました。

病院では玄関に花を飾ったり
長い入院の方には
病室で一緒にリースを作ったり
花による癒しを病院内でも
許可を得て希望者にしていました。

フラワーデザインの資格などの他に
フラワーセラビストの資格取得も
しました。
資格は地元で取得できないものは
仙台や東京に行き取得しました。




ワタシのお花のデビューは
病院の中から始まりました。


ワタシにとりましては
花が少しでもお薬のような役割になったら
いいなという気持ちからでした。


そんな前職からの経緯があり
今でも花で癒しや元気を与えられればという
気持ちが基本にあります。



東日本大震災を経験し
状況も変わり
義母の体調不安などもあり
また、自分の原点にかえり考え
自分の人生を生きる道を選びました。


病院を辞めて
花だけで独立するのは
不安だらけでしたが
好きなお花に関われるのは
しあわせでした。


毎日がチャレンジでドキドキでした。
家族も気持ちは理解していても
内心は反対というか心配だったかと
思います。

今は応援してくれています。(^^)



小さなお仕事から少しずつ
前に進んできました。



今でも大して変わりないような感じですが
それでも
多くのみなさんと知り合いになれて
活動範囲も広がり
生徒さんも来てくださるように
なりました。



病院勤務の時に
パソコン操作や書類作成など
基本的なことを学んできました。

接遇などの勉強もプロから学びました。
子供から高齢者まで
精神的に不安な状態の患者さんに
対する応対、
相手に安心や親しみやすさを
感じていただけるような話し方など
様々なことを病院で学ばせていただきました。




なので、ワタシの基礎は
ホスピタリティーからの
フラワーデザインであり
フラワーアレンジメントであります。


花の創作や教室運営などしていますが
好きで得意な花が媒体ではありますが
一番大切にしていることは
花による癒しの場を提供させて
いただくことです。



その方々の基礎となる部分は
様々だと思いますが
何故花をするのかと聞かれれば
そんな感じです。(^^)


そして更に資格を取るというのは
紙切れかもしれませんが
それが力になることも多々あるので
また目標があるということも
走る原動力になるので
資格も取れる教室にもしています。






いや~💦
今日はかなりの長文になりましたね。
申し訳ない。
これでも書ききれてませんが(笑)



最後まで読んでいただけたか
わかりませんが😅



ワタシを構成しているものを
自分なりに自分を見つめてみました。




なので結果的にいろいろ考えると
過去の経験は全て活かされていると思うので
あります。






では、では
本当に
今日もありがとうございます。











ま~たね~👋




おやすみなさい🍀








Thank You~♪



May peace prevail on earth🌎
tocotowa