11日の地震は、すごい地震でした。
最初の大きな地震の時は、まだ職場の小学校に居ました。
幸いなことに作業は終わってました。
事務処理のため休憩室で座って書き物をしていたのですが・・・
最初は「揺れてるね」って感じで話していたのが、
だんだん大きくなってきて、
そのうち、うねるような、ねじれるような大きな揺れになって。
ロッカーの扉が開いたりしたので慌てて押さえたり、
窓を開けたり。
揺れが長かったため、
何かしなきゃって考える時間があったものの、
結局、窓を開けただけで何もできませんでした。
少しして次の大きな揺れ。
この後は、しばらく船酔い状態で、
書類を見ていても気持ち悪かったです。
携帯の地震メールで東北で震度7と知りビックリ。
職場では、福島と関わりのある人が何人もいて、
「連絡が取れない」と心配してました。
どうしてもその日のうちにやっておかなきゃいけないものを終わらせ、
チーフ以外は帰宅することになりました。
学校で授業をしていた子供たちも急きょ、集団下校をすることになり、
防災頭巾をかぶって校庭に集合してました。
そして、
校門のところには、心配した保護者が自主的にお迎えに来てました。
私も子供たちのことが心配で連絡を取ろうとするのですが、
携帯電話は地震直後から通じなかったので、
とにかく自宅に戻りました。
息子は、
中学校が卒業式だったためお昼過ぎには自宅に帰っていて無事。
娘は、
テスト期間で、本当ならお昼には帰れる日なのに、
部活がない時じゃないと友だちとゆっくり話せないと、
お昼ご飯を友だちと食べると朝言っていたため、
どこにいるか心配でした。
夕方になって、なんとか携帯が通じたけど、
高校の最寄り駅そばに居て帰れないと・・・。
しばらく様子を見させたけど、電車は動きそうにないので
18時ごろ車で迎えに行くことにしました。
大渋滞覚悟、そして何があるかわからないので、
食料や飲料水をいっぱい持って・・・。
何かあった時のために息子も車に乗せ、
たまに通じる携帯で娘と連絡を取りながら、
普段は1時間半もあれば往復できるところを
4時間半かけて22時半ころ娘のところに着きました。
幸いなことに、
たまたま会った後輩に、
「近くの公民館でテレビが見れるよ」
と聞いた娘はそこで暖もとれ、
21時過ぎにはそこが避難所にもなったため
私が行くまで建物の中に居ることが出来ました。
娘が居た付近は埋め立て地で、
道路は所々で液状化が起こってました。
高校も被害があったみたい。
帰りはそんなに渋滞することなく、帰れました。
でも、家に着いたのは23時半ころ。
さすがに疲れました。
子供たちが不安がるので、みんなでリビングでくっついて寝ました。
何かあった時のためにテレビをつけたまま。
ちょくちょく地震速報やメールが来るため、
私も子供たちもそのたびに起きました。
朝になってもボーっとしてました。
でも・・・
東北の被害を見たらそんなことも言ってられず。。。
津波の恐ろしさを改めてわかりました。。。
被害に遭われた方には、お見舞い・お悔やみ申しあげます。
土曜日の新聞を見て、
初めて自分の家の周りの震度が5+だったと知りました。
夜になって、
家の2階で天井や壁にヒビが入っているのを見つけました。
すぐにどうこうなるものではないと思うのですが・・・
どうしよう・・・