念願の旅に出ました🚄𓂃𓈒𓏸︎︎︎︎
父方の祖父の出身地へ行くという旅
戸籍をたどって出てきた住所
たぶんこのあたりがピンポイント🎯
海が見える集落でした
近くに氣多大社があり
連れて行ってもらいました![]()
自然の中にあるがままにある
質素ながら凛としたモノを感じる
心が優しくなれる場所
でした
父方の祖父が石川の出身なのを
戸籍を辿って知ったのは
たぶん10年くらい前のこと
父親も気になっていたようだけど
行くことが出来ないまま亡くなってしまった
子育ての忙しいシーズンが終わり
新しいパートナーとの暮らしも一段落の2025年
お正月に氣多大社の写真を見た時
あ、今年行くんだな
と思って
今に至ります![]()
父親のこと、生前は深く理解するのが難しくて![]()
思春期に女子は父親を拒絶する時期があるけど
私の場合は、それはとても複雑で![]()
小学生の頃、父親の会社が倒産して
両親が離婚して、夜逃げして
借金取りから逃げていて
学校もちょっと行けない時期があり![]()
その後、家族で力を合わせ働いて働いて
借金を返したのは美しい方の話で
父親はショックも大きく
お酒を呑んで酒乱気味になることも多く
外に女性がいることも多く
兄たちは非行に走ったり![]()
その時に私が受けていた精神的なモノ
世の中を斜に構えて見てしまうクセ![]()
間違えて解釈したモノの考え方、価値観![]()
それらを自分の結婚、出産、子育ての中で
何度も刷新させてきた
子育てってホントに自分が育てられる経験で
私の場合は、何度も生まれ変わるように
本当の自分に戻るような子育て期間でした
息子たちには感謝だよね![]()
![]()
そうこうしているうちに父親も亡くなり
それからひとりの人として
ちゃんと話すことが出来た![]()
何言ってるの
この人、と思うでしょう![]()
でも、亡くなって身体をなくし
父親であったことの記憶はある
たましいの存在となったひとりの人
その父親と話すことで
私は父親を理解することができました
父親と娘、という役割を捨てて
ひとりの人と人としての会話
父親として娘の私に見せなかった顔
母親との男女のいろいろ
すごくたくさんの時間、話をしました
今は誰よりも父親を理解しているつもり![]()
生きている時は
嫌いで嫌いで仕方なくて
憎んでいて、嫌悪感もハンパなくて
自分の父親があの人だと思うと
生きているのもつらいくらい嫌っていた![]()
生きているうちに和解出来なくて
ごめんなさいと思うけど
それもそういう運命なんだと思うしかない![]()
肉体を持って、この世で生きて行くって
難儀だなぁと思う![]()
純粋にたましいのまま生きて行きたいけど
生まれてきた環境や人間関係の中で
そのままではいられなくなる![]()
この世での欲や役割の責任を
生きるようになってしまって
たましいのまま生きるのが難しい
父と娘であっても、歯車がズレちゃって
ボタンが掛け違いすぎちゃって
嫌悪する程になってしまう![]()
父親が肉体を離れて
純粋なたましいの存在になって
そこと話すことで初めて分かり合えた![]()
これもタイミングなんだろうね![]()
今は父親ホロスコープも少し見て
ますます彼が分かってきてる![]()
石川県出身の祖父は
私が生まれる前に亡くなってしまっているので
会ったことは無い
そしてその連れ合いである祖母も
私が生まれてすぐ亡くなってしまった
その祖母は私をずっと守ってくれている
言わゆる守護霊さまのひとり![]()
祖母も父親も
祖父の生まれ育った石川県には
行くことなく亡くなったから
今回の旅はみんな一緒に行っている![]()
みんなでその土地に立ち
美味しいものを食べて![]()
美味しいお酒を呑んで![]()
里帰りを満喫![]()
2025年9月23日 秋分
お墓参りに行きました
じいちゃん、ばあちゃんが
ラメーン屋さんをやっていた
と
知らなかったこと![]()
長男がラーメン屋、やりたがったのとか
つながってたのかなぁ![]()
お墓参りのあと
めっちゃ眠くなって、帰って寝て
またつながりと守りを受け取りました![]()
ありがとうございます![]()
![]()

