我が家で墓じまいをすることになりました。お墓の記憶を、ここに記録させていただきます。

 今回は墓地の中心にあるメインの墓石と墓碑の記録です。メインの墓石から。



 正面には南無妙法蓮華経、日良、そして花押が刻まれています。先日、閉眼供養を行った際、お坊さんが「日良」の意味を教えてくださいました。日蓮宗のエラいさん=上人なのでした。

 それまでは「何か彫ってあるな~」くらいにしか思ってなかったので、良い気付きになりました。





 当家家紋



 この記事を書くことで、家紋の名前を知る機会に恵まれました。「丸に三つ盛り亀甲に花菱紋」というらしいです。



 この墓石は、1998年に祖母と両親が建てたものです。閉眼供養のときには、両親ともに日良上人のことを「はじめて知った」と言っていました。

 ですが、墓石をオーダーする際、詳細仕様について、菩提寺や石材店と打ち合わせしていった中で、日良上人のことは念頭に登ったはずです。だって、現に彫ってあるのですもの。たぶん、昔のことで記憶が薄れちゃったんだと思います。

 別の墓石からコピーした先祖の歴史に関する記述です。


 記載は次のとおり。

常列久慈郡太田 住 牧野甚右衛門忠房 寛文十一年辛亥歳六月朔 生テ 下野州芳賀郡茂木荘牧野邨 父小林喜左衛門忠直法号即中院道全日實信士 母大峯氏之女 茂木荘菅又邨之産 法号了智院妙負日性信女 忠房 十二歳而 本郷従父母 従 當州水戸城下 仕 士某甲 十年後 在テ 福嶋屋主人見氏 晨昏 至 誠 竭 志 主 複 遇之 甚 厚事之十七年 告 辞 来テ 太田ト今之居 父祖代 改 小林為氏 忠房 幼而 来 他国 立 商家 営 産業 為不忘 於呼 生縁之地 為氏 娶 當列 大槻氏之女 為 妻 享保甲辰七月十四日 先而亡矣 享年三十六歳 法号 浄窓院妙秋日清信女 今年 値 大祥 忠 以 立 石 浮圖 同 勒 自之名 而 預作 合葬 之 謀 忠房 厚 歸 佛来 広 法華教宗 以 新宿村 曼荼羅寺 為 墳墓之地 曽 建 三十番神堂一宇 於 寺之南 以 謝 今日之冨 兼 祈 當 来 之 善果 附 腴田若干畝 為 祭修之資 以 年々九月十五日 設 祭祀之禮 其志 要 子孫 興 寺 墓 受持 不可量 之 福永 不致 祭修之缺典 故 勒 碍石 之 後 告 子孫者 也 抑冀 以 三實慈愍之力 後 五百歳 永圓 房 此 願 夫妻 相共 宴㘴 妙法蓮華 臺 祈 之 永 之 云

 スペースは、わたくしが素人判断で設けました。ここに刻まれたご先祖は、17世紀後半、栃木県茂木町牧野から当地に移住して・・・、とあります。当家の苗字は、元々は小林だったのですね。

 享保甲辰=西暦1724年、ご先祖の妻が36歳でこの世を去りました。ご先祖は妻を深く想っていた方らしく、同年9月15日、いわゆる「夫婦墓」を造営したようです。

 次に墓誌。





 動画としても記録しました。



 墓石が沢山ありますので、追々、アップして記録を残してまいりたいと思います。以上、お墓の記憶 Part Iでした。

2024/12/10更新