挑発的なタイトルにしてみました。

 さて、舞台は200X年秋の広島市。とある酒席で薙刀術の某師範と同席する機会に恵まれました。その際、某師範から発せられた言葉が脳裏に深く刻まれています。

「四十・五十を過ぎて、炎天下、野良で草むしりをしている人間がいる。



上はイメージです。画像は(公財)大分市シルバー人材センターHPより


片や、空調が効いたビルの中から、その者らを指示する人間がいる。どちらの側になるか、お前次第だ」。

 これには、「時代錯誤なこと言う人だなぁ~」と面喰うとともに、…正直、辟易。その反面「21世紀を迎えるいまでも、畢竟、人の価値はこういう風に見定められるのか?」と自分の価値観に多少の疑念が生じたりもしました。

 あれから幾年月、いろいろシンドイことが重なって、己の軸がブレっブレしていた時期に、とある小説&アニメと巡り合いました。小野不由美作「十二国記」です。この出会いが正しく僥倖。

 ストーリーは、異世界に転移した主人公・陽子の波乱万丈をベースに紡がれます。作中、陽子と、田舎で隠棲する老人との間で交わされる会話が、薙刀術師範の言と対照的。
 老人の名を遠甫といいます。


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(遠甫)
儂は、道を貫いたつもりだった。

だが、道とは他者の命を犠牲にするものではあるまい…。ならば、儂の貫いたものは何だったのだろうなぁ? この歳(=実は、人間のウン百歳相当)になっても、まだ、こうして迷う。

ときどき儂は、道を説くことよりも、田を耕すこと、武器を持って闘うことの方が、遥かに意味があるように思えることがある。

(陽子)
遠甫は、民に種を蒔いてらっしゃるのではないのですか?

(遠甫)
ハハっ、なるほどなぁ。儂のように長生きしても、まだ迷う。陽子のような若造に諭される。人というものは、その程度のものだ。
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そのシーンが↓コチラ


 老年を控えてなお、世俗の闇に身を染め切らずいられるのは、多分に「十二国記」のおかげです。

 人の貴賎は、職業や肩書や収入など、人工的なモノサシとは別ラインにある、という持論もご健在。(笑) これは何も「負け犬の遠吠え」ではなく、実在のスゴい人って、ほんとスゴいんです! 具体的にどうスゴいかは、折を見て触れましょう。

 21:20からはじまる陽子の言説は、アニメ史の珠玉。
~その証として伏礼を廃す。これをもって初勅とする~
 イイねぇ~!!!