2018/12/14:投稿
2022/01/02:更新

 鉄筋コンクリートの建造物を巡る旅・鉄コン其古卍 Part 13、新潟県糸魚川市の善導寺です。

善導寺入口から建屋をみる
※境内の撮影は、お寺の方に許可を頂いています。

 善導寺は、旧直江津市出身・渡邊洋治による設計。竣工は1961年のこと。かれこれ半世紀以上も前の話しです。

 渡邊洋治氏といえば、新宿《軍艦マンション》や伊豆《龍の砦/嶺崎医院》で知られる建築家。著名な建築のほとんどを東大OBの建築家たちが手掛けていた時代に、異色の経歴で建築界になぐり込みを掛けた希代の天才、だと思います。

 下の画像は、正門から真北を向いて建物に正対したところ。ゲート部からスロープが駆け上がり、建屋2階部へと続いています。

善導寺の建屋内部に駐車するタクシーを引きで見るの図

建物全体を収められる撮影ポイントを探してウロウロしていたところ、タクシーがスロープをとことこ登っていくシーンに遭遇しました。「このスロープ、クルマも使うのか!」と感心しきり。ちなみに、向かって左手=西側が本堂、右手=東側が庫裡です。

善導寺入口から建屋をみる

 外見のインパクトはかなり強烈です。そのインパクトの源泉は、庫裡の屋根から地上2階部にかけて斜めに走るラインと建物を貫くカタパルト状のスロープにあり、とみました。

 ここで、目線を下にやると、善導寺の基礎は東西それぞれ4点ずつの計8点でリジッドマウントされています。
善導寺の東側の基部
昨今流行りの免震ゴムやダンパーの様な緩衝機構は、素人目には見つけられませんでした。

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追記:後日、藤野陽三著《プロが教える 橋の構造と建設がわかる本》を読んで思ったのですが、リジッドマウントじゃないかもしれません。詳しくは同著の橋桁と橋脚の結合に関する記述をご参照くださいませ。
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 対して、目線を上に向けると、上層へ向かうほど、
善導寺の東側アップ
床/屋根スラブの面積が増すアクロバティックな作りになっています。

東パート
善導寺の東側アップ

 画像では小さくてちょっとわかりずらいですが、
善導寺の東側アップ
斜めのラインは2階と屋上を結ぶ階段になっています。

西パート
墓石越しに善導寺の西側を見るの図
屋根とベランダ囲いは、まるで牙のよう!

 側面の壁には三つ葉葵の寺紋
善導寺の西側の三つ葉葵

 地階には、↓このように内部空間が。
善導寺の西側地階のアップ

 基部との接し方や全体デザインとの差異からして、
善導寺の西側地階。増築したような感じがする
この部分は後から増築したのでしょう。

 スロープ下のスペースを有効活用
スロープの下に設けられた倉庫スペース
倉庫スペースのような空間が設けられています。

 下は、スロープが建物に貫入する部分のショット。
善導寺貫入部につり下がる鐘
鐘の向こうに見えるのが北陸新幹線の高架です。

西パート
善導寺貫入部から各方面を見るの図
本堂の入口です。

 それにしても…
善導寺貫入部から各方面を見るの図
竣工が1961年とは思えぬ状態の良さ。

東パート
善導寺貫入部から各方面を見るの図
庫裡の入り口です。

善導寺貫入部から各方面を見るの図

 建屋本体とスロープの接合部分のアップ。
善導寺の建屋とスロープの接合部分のアップ
実は、建物とスロープは別体でした。

 下から見ると
善導寺の建屋とスロープの接合部分をひきで見たところ
この様に分かれています。

 竣工した1961年といえば、日本のモータリゼーションの黎明期より前に当たります。日本のモータリゼーションが東京五輪を契機に都市部から進展した経緯を踏まえると、善導寺の設計時にモータリゼーション対応を設計に織り込んだと推測するのは、ちょっと無理があるように感じます。もしかして、現状のスロープは後から増設したのか…?

 寺の裏手=北側=糸魚川中心街寄りから
善導寺を北側から。住宅越しに善導寺が見える
見上げたショット。

 後々わかったんですが、善導寺は、
糸魚川駅の新幹線ホームから見える善導寺
糸魚川駅新幹線下り(=金沢方面行き)ホームからも見えるんですね。赤枠内が善導寺です。