こんにちはTocoです。

いつもご訪問いただきありがとうございます❣️



昨日はスーパームーンだったそうですが

あいにくの曇り空で眼で見ることは出来ませんでした(残念)

 

 

 

長い間ブログもインスタのシェアのみになっていましたあせる

 

 

 

 

昨年暮れの12月29日に
お酒が大好きで仕事人間だった父が他界しました。

 



25歳に生死をさまよってから
亡くなる83歳まで
頭から足の先まで
有りとあらゆる病気やケガをした父。



昨年7月に胸椎圧迫骨折をして入院。



あの歳で病院に入ると
何かしら検査で出る○○の異常や悪化。



そもそも全身健康な所はあまりなかった父なので驚きもしませんでしたが笑い泣き

 



先生によっては
治療を一番にとあれこれ治療方針を
考えて下さるのですが
この時も腎臓の数値が悪化?しているから
透析も考えて!返事して!
と言われて家族会議までしました。


 

そうこうしているうちに病状は落ち着いたと連絡。

 

 

入院は3か月が目安となるため退院をするか

施設に行くかの選択を迫られました。

 

 

母の認知が進んでいたので

リハビリ目的で施設に入所することになりました。

 

 

その後順調にリハビリをして家に帰れるために

各関係機関と準備を話し合っている最中に

今度は排尿障害が起こり高熱が出て再び入院。

 

 

前入院の時、途中から鳥取県でも自粛になったり

県内にも「陽性者」が出たりで面会もできなくなっていて

施設はシート越しに週1回は出来ていた面会が

再入院では全く面会が出来ない状態でした汗

 

 

再入院先の先生やスタッフの方たちは

父を含め家族の気持ちに寄り添ってくれる方が多く

荷物を持って行ったときに

スマホを渡すと写真を撮ってくれたりしました照れ

 

 

 

病棟が変わってからはこんな風に

日常を記録してくださいました。

 

会えない家族には本当にありがたい事です。

 

会えなくても母の気持ちを考えて

何度も30分近くかかる病院に足を運びました。

 

 

ただこの頃から父の身体はこの世から離れる準備に

入り始めていました。

 

 

 

良いか悪いか知識があるのはもどかしい。

 

 

 

何か一つ治療をすれば回復するという段階では

なくなっていました。

多臓器不全です。

 

 

 

1日でも1週間でも長く生きていてほしいというのは

家族なら当然の気持ちです。

 

 

ただその為には本人は治療で

身体のどこかが苦しむのを避けるのは難しいのです。

 

 

身体の機能は、例えば無理やり食事をすれば

消化器官だけでなく全ての器官や神経までもが

働き続けようと頑張ってしまいます。

 

 

腎機能を助けようと治療すれば

他の臓器も「まだ働かなければ!」と

無理をします。

そうすると、またどこかが機能不全を起こし治療する。

 

 

悪循環の始まりなのです。

 

 

医療としては入院していれば検査をする

何か異常があれば治療をする。

 

 

それが普通のことです。

本人の気持ちを尊重して治療をすることも大切なことです。

 

 

ただ実際この年齢でこの状態であれば

苦しみに耐えて弱っていくのは明らかでした。

 

 

先生と話し合いの結果

自然な状態で無理な治療はしないことにしました。

 

 

食べれない事が増えていくと点滴をしますが

それも多くすれば吸収出来ない身体は

全身に浮腫として出てきます。

 

 

水分が多くなれば痰が増えて呼吸も苦しくなる。

 

 

排尿が出ないのに水分ばかり入れては

腎臓は悲鳴をあげるのは知識がなくてもわかります。

 

 

先生も勿論よく分かっておられるので

家族が言えば最小限の点滴で痛みや苦しみがない状態を

保ってくださるのです。

 

 

最後の1か月半は面会も毎日できるように

許可を頂きました。

 

個室だったので毎日体を拭いたり乾燥している身体に

全身クリームを塗ったり歯磨きをしました。

 

 

浮腫もなく痰でゴロゴロいったりせず

褥瘡(床ずれ)も出来ませんでした。

 

 

時々話すことを動画に撮って

会いに来れない家族にも見せることが出来ました。

 

 

最後の日

いつも通り母と面会してその様子を見て

年越しは出来ないかもしれないと感じました。

 

 

感が働いたのか

その日は大阪に居る姉にビデオ通話で

父へ声掛けをしてもらいました。

 

 

日が変わって29日0時すぎに病院から電話。

 

 

そして父は逝きました

 

 

 

夜中にも関わらず担当の先生は

当直でもないのにわざわざ来てくださっていました。

 

 

最後は苦しみも痛みもなく静かに息を引き取りました。

 

 

先生含め全ての関係してくださったスタッフの皆さん

帰りを待ってくれていた施設の関係者の方々

心配して連絡をくれた友人に心から感謝します

 

 

そして父は神様になりました

 

我が家は父が3男であったので

先祖のお墓に入ることもなく

特に信仰もなかったので初めての家のお葬式は

兄に託されました。

 

 

わたしは仏式でも神式でも

亡くなったら同じところに行くと考えていますから

兄にお任せです。(嫁に出たので口を出す気もありません)

 

 

兄は子供のころからの氏神さまにお世話になりたいと

神式でお葬式をすることにしました。

 

 

それで父は神様になったのです。

 

初めてのお葬式に初めての神式。

戸惑うことも沢山ありましたがお別れをするのは

どちらでも寂しいものです。

 

 

葬儀の日は大雪。

コロナ禍での葬儀は寂しいですが参列者は少ない。

 

 

 

それでも悲しんでばかりでは父も辛いだろうと

父の生い立ちムービー用の写真で大笑いしたり

 

葬儀までの間父が寂しくないように

水戸黄門」や「銭形平次」などの父の好きだった

時代劇の主題歌を延々かけて一緒に歌っていました。

 

 

そんな感じで素敵な葬儀も出来ました。

 

 

父と母の少し若いころの楽しそうな写真が和みます。

 

 

 

神式では五十日祭(仏式の四十九日)が終わるまで

お正月の挨拶もお祭りはもちろん

神社参拝も出来ません。

 

色々と仏式と似たような違う行事があるようです。

 

 

 

 

父がいなくなってから

気が抜けて何もできなくなってしまわないようになのか?

母の認知が進み母を一人にできなくなりました。

 

 

兄家族はあまり深刻に考えていなくて

仕事に出てしまえば見えないからほったらかし。

 

 

母の頼りはわたし一人。

 

 

毎日我が家に歩いて来ては

すぐ忘れてまた来る。

 

 

 

そんな日々が続き私自身何も出来ないことより

母がいつ来ても居るようにしていました。

 

 

我が家まで歩いて母の足で10分くらい。

母が家を忘れないうちは大丈夫だと思っていました。

 

 

出来る限り母を連れて出かけたりしていましたが

このままでは完全にわたしに依存して家族との仲が

良くない(元々良くない 笑)だろうし

 

 

わたしも自分の時間を作らないといけないと感じ

3か月たって落ち着いたと感じたので

4月からデイサービスを週4回にしてもらいました。

 

 

忙しいと言いながらデイサービスでのことを

楽しそうに話してくれるようになりました。

 

 

そんな感じでやっと自分の時間を作ることが出来たら

案外にもここにきて父の「死」のフラッシュバックが

起きるようになりました。

 

 

病院で多くの患者さんを看取ってきたので

「死」に対する免疫は他の人よりあると高を括っていました。

 

 

これを救ってくれたのが

神社参拝です。

 

 

もともと神社めぐりは大好きでしたが

父が他界してからはあまり足が向きませんでした。

 

 

それでも父が身近にいる感覚は強かったので

神様がそばにいてくれている。と思っていました。

 

 

何かしよう。何かしなければ。と思うと

何をしていいか分からなくなります。

 

 

心穏やかにしたいことに目を向けてみると

自然とやりたいことがわかるのかもしれません

 

 

父がお世話になった神社は

家からも近いので何度か参拝に行きました。

 

そこでどんどん父の「死」へのフラッシュバックが

薄れていきました。

 

 

 

そのうちに撮影してみよう。と思い始め

一人で撮影をしてみました。

 

 

そしてその動画を自分で編集してみました。

初めてです(笑)

 

 

今までの動画は旦那ユウキチくんが編集してくれていました。

 

 

今回撮影も編集も自分でしたので見ずらいことも

あると思いますが見て頂けると嬉しいです。

 

 

 

神社参拝が心を穏やかにしてくれることが

改めて実感しました。

 

今後は有名な神社、あまり知られていない神社も参拝し

動画で神社遠隔参拝神社できるようにしていきたいと思います。

 

 

動画のクオリティーも上がるように頑張ります爆  笑

 

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長いブログ最後まで読んで頂きありがとうございましたキラキラ