無音、故に。作者:杠音韻様

夕凪もぐら感想


さて、どーも。もぐらです。
おとこ夕凪かんそうを書きにきました。

まず、こんなことはもぐらが言わんでも、本人が一番自覚していると思いますが、ふわっとし過ぎて、ストーリー性が少ない。まるでちょい難しめの詩のよう。
しかし、こんかいは企画ゆえ、詩的な小説として、詩的な物語として読ませて頂きます。

良いところは沢山ありますが、
語彙の豊富さをみせつけるかのような表現。かと言って難読かと言われれば、そうでもなく程よいのかと。
綺麗な言葉のセンスは、とても良いです。

が、まあぼくが気になったのは(良い意味で)、それよりも踏切、白線、既に体なんてない、など節々のワードから見え隠れするこの物語の着想。

こんな夏に。
私は一人。
とうに風は過ぎ去った。

この風が何を意味しているのか。死んでるのか、亡くしているのか。
乗せていくのか、連れていくのか。

なんとなく。自殺か、事故かで、列車に轢かれ、そのまま別の世界の列車に乗り込むイメージ。
唐突に、なんの説明もなく、山羊やら猫やらでてくるので、夢の中みたい。

こういうイメージの断片を小説らしく、物語らしくすると、せっかくの良いところが消えてしまうのがネックですよね。もちろん足りない美学もありますが、それでもぼくは小説書きなので、足りない蛇足を保管した、小説も読みたいかな。

次にぼくの好みの話なのですが、
ちいと綺麗すぎです。汚さや、臭さを、書けないとは言わせません。
ずるさや、人間らしさを今回は敢えて排除したのかもしれませんが。

表現が綺麗で、終始儚い印象が断続的に続きますが、物語自体の意味と、数々のパワーワードに込められた意味が乖離していて(これも唐突にでてくる薄情なぼくとか)、物語とは別のメッセージが込められているのかなと、思ったのしだいですが、どうでしょうか。


追記

音韻さんという作者さんとの付き合いは長くて、最初は小説を介さずツイッターでお喋りばかりをしておりました。
今ではすっかり見かけることのなくなりましたが、自分の心の内側を吐き出すような140文字以内の文章が綺麗でふと小説を読んでみたくなりました。
独自の意味の込められた造語や、ときおり吐き出す気持ちのこもった文章に魅せられ、彼をイラストレーターや雑談仲間としてより、一人の小説書きとして付き合うようになりました。
波があり、時に話していると口下手な面もありますが、物書きとしては、人より大きなものを秘めています。