toconcludeのブログ

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朝のゆるゆるニュース生放送中に女性レポーターと男性カメラマンが撃ち殺された事件、犯人であるフラナガンは被害妄想系困ったちゃんだったようで、捕まりそうになったところで自殺。すぐ差別だと騒ぎ立てたり、仕事も中途半端なのに周囲を責めるばかりで改善がなされない人だったそうで、2013年にWDBJ を解雇されると、2年も沸々と怒りをくすぶらせ、今回の犯行に及んだと。詳細はこちら

で、女性レポーターのお父上は、今後は
銃の規制を訴えていく活動家になる
ことを宣言したそうです。立派なことで・・・・
と、思いきやーーーー、話はここからです。

お父さん談:
「今までは銃を持っていなかったけれど、これから買わなければならない。」(・∀・)


なんでーーーー?わかりますか?皆さん?規制を強化するというのは、銃を社会からなくしていくことではないんです。
「俺は銃を持ち、犯罪に使うような人間に銃がわたらないように規制を強化する」のが目的なんです。
「誰も銃を持たない、誰も銃を使わない」という社会を目指すのではなくて、
「銃を持っていい種類の人間が銃を持ってはいけない人間を支配する世の中」
を目指している
んです。
なんでそうなるんですか?怖くないですか?どんな俺様理論?

誰かを排除することも、誰かに特権を与えることも、どちらも危険なことです。このお父さんはその両方をやろうとしているんです。それを当たり前だと思ってる精神構造が怖いんです。西欧の俺様理論は植民地支配が終わって久しい今でも社会の癌なんです。

アメリカは銃社会。銃とは殺人に特化した攻撃のための道具であり、テーザーのように攻撃を不能にする道具ではありません。ましてや身を守る道具ではありません。そして身の危険を感じたら、正当防衛の名のもとに、撃ってもいい。警官は後から訴えられないために、一度撃ち始めたら相手が死ぬまで撃ち続けるように訓練されています。日本は死刑があることで、非人道的だと国際的に非難されてますが、アメリカでは裁判もなしに一般人や警官によって死刑が執行されているのと同じことなんです。

私は精神的に少しおかしな人が、逆恨みによって犯した殺人事件よりも、この父親の発想の方が怖いです。犯人フラナガンは、女性レポーターだけなら銃を使わず、素手でも殺せるんです。カメラマンは男性ですから素手では確実性がないとしても、この男の犯行そのものは銃があってもなくても可能なんです。日本でも逆恨みによる殺人が後を絶たないように、精神異常者による犯罪はゼロにはできません。銃の存在は犯行の動機ではないんです。

もちろん手軽に銃が手に入ることが犯行を促進したと言う議論は可能ですし、死亡者数に変化があった可能性も否定できません。でも犯行がなくなる可能性は恐らくないんです。銃が直接の問題ではないんです。

一方で、この父親が理想とするところには大きな問題があります。彼が目指す銃の規制とはどういうことでしょうか?彼はこれから買いにくわけですから、銃そのものに反対しているわけではないですね。ということは「持っていい人間と持ってはいけない人間がいる」と想定しているわけです。

では誰が持ってよくて、誰が持ってはいけないのでしょう?お父さんはこの事件の犯人が銃を持っていたことを問題と考えているわけですから、この犯人い銃を与えない条件を考えてみればいいでしょう。まず最初に浮かぶのは精神に異常がある場合です。これは既に規制対象になっていますね。ではこの人は精神に異常があったのでしょうか?この人は過敏で自己反省力が低く良好な人間関係を築けなかったようですが、自分で収入を経て周囲の人とコミュニケーションを取って生活を立てていたわけですから、異常という範疇には入らなかったはずなんです。

フラナガンを精神異常という枠組みで縛れないならば、他にどんな条件で一般化すれば彼に銃が渡らないのでしょうか?記事には「フラナガンは暴力的ではなかったが、他意のない言葉にも差別的だと過剰に反応する」とあります。差別的だという反応を頻繁にする人を被害妄想の証だとすれば、銃の規制対象に入りますね。それでいいですか?

海外に住んでいると、細かい差別は日常です。あからさまな差別の他に、限りなく黒に近いグレーなケースがたくさんあります。ただそれが「差別だ」と証明できない場合、黙するしかないんです。そのもやもやを言えば被害妄想だと笑われ、差別を正当化させてしまうことすらあるんです。バス停で自分だけが待ってる時に、バスが停まってくれなかったとしても、できるのはバス会社に電話して苦情を言うぐらいです。バスの運転手が「気づかなかった」と言えばそれで終わりです。現在の風潮は差別は「公にしてはいけない」であって、「してはいけない」ではないんです。この人が被害妄想だったという保証すらないんです。

「良好な人間関係が築けない」はどうでしょう?銃の購入にあたって職場やご近所、あるいは学校などでの人気投票を要件に入れてみればどうでしょう?公正であり得ますか?学校や近所でいじめをしていた人といじめられていた人がいたとして、両方が銃の取得の申請をした場合、あなたはどちらに銃の所持を許可しますか?いじめられていた子に銃が渡るのが危険だと少しでも思ったのなら、あなたはいじめられていた子が怒りを溜めていると感じているからではないですか?私が問いたいのは、その溜まった怒りは無根拠ですかということです。もちろん無根拠ではありません。現実社会は公平ではないですから、悪意や憎悪は薄めていかなければならないわけですよ。一本的に押さえつけて爆発するまで溜めていくようでは成り立ちません。お父さんが目指しているのは、いじめっ子が銃を持つ社会です。悪意を正当化し、無限に憎悪をかきたてる社会です。お父さん起きて!!!