金曜日の夜












韓国に行ってしまった友人と












三時間をこえる長電話をした













友人とは息子ッティのスイミングで出会った友達で










いわゆるママ友ですね













私は「ママ友なんていらない」なんてゆってた地元の友人とは違い









基本的に人脈は広い方が良い
と思ってるタイプなので











割とすぐ仲良くなれちゃうタイプです















ママ友っていうだけのわかりやすいくくりなだけで











幼馴染も   地元の友人も  ママ友








同じ大切な友人です












でも   これは    幸せなことに











気の合う友人だからなわけで













心の底からなんでも話せる人ばかりではないので















そうなると   ママ友  というくくりに入れてしまうかもですね


その友人とは











子どもと携わる仕事だったことや
妊活を頑張ってる仲間的なことで
意気投合したので















友人の中でも特別枠かもしれません















友人は今   旦那様のご実家(韓国)で一年住むため
会って話すことができません
















隣の家族は青く見える   韓国でもみたよ
という何気ないラインから














ブログやら     なんやらでストレスが少しずつ溜まってる感を感じてたので















電話しよう!という流れで















あれよあれよと11時前から三時間電話してました













私ね
昔から
自分ばかりマシンガントークする
人間でしたの


















だから昔 何も自分のことを話さない幼馴染に













「私のこと信用してない?  私はこんなに信用して話してるのに」
と  















残念すぎる質問をしたほどです

















どれだけ   自分本位な人間だったかと
恥ずかしくなります














韓国で過ごす友人は









「で さっきの話に戻すんだけど   そこでどう思ったの?」












など   きになることを聞いてくれたりして














なんだか
こんな私でも
何か力になれることが
あるのかな?















と錯覚してしまうほど











 

何でも話せてしまいます















お互い   多分 多分 みんな言わないだけかもだけど
まあまあ  苦労して生きてきて
のほほんとはかけ離れた人生を歩んできたという雰囲気で











 
 

色んなことが重なります


















子育てについての考え方
家族について
















全く一緒  ということではなく





 







理解できる















っていうかんじかな



















友人の  挑戦する心と  忍耐力には
頭が下がります














仲良くなってまだ半年もたっていないのに
昔からの友人のように
話せるのは














気があうからだけではなく

お互い苦しみを知っているからではないかと













長電話で気づきました
















私がいつも心に置いている歌の歌詞












「人を愛するため  人は生まれた
苦しみの数だけ     
優しくなれるはず」
(遥かな人へ       高橋真梨子)



何で私ばっかり








と嘆くのをやめ













私はこの歌詞を頭に浮かべ生きることに決めた
10年前















今度  友人とまた夜中までカラオケにいき













歌いたい  















この歌を