なんで言葉が通じなくても電話できるの?
って聞かれたけど、私も不思議。
Huongは英語がしゃべれない。
そのHuongと半日二人だけで観光したけど、
別にずっと沈黙なわけじゃないし、楽しめないわけでもなかったな。
一緒に竹林を見れば、Huongはベトナム語で竹林と発音してくれる。
そして私もその発音を真似て繰り返す。
上手く発音できたら、私もHuongも満足して次の場所へ進む。
言葉って本当に高度な技術でとても便利。
でも便利すぎて実は物事を難しくしてるのかもな。とも思ったり。
私とHuongが見た竹林はそのまんま竹林であって、
そこで何か歴史的なことがあったのかもしれないし、何かの記念なのかもしれないけど、
Huongは私にそれを伝えられない。
その背景まで知ることができたら、人生の深みが増すみたいなもんで、
必要不可欠ではないんだ。
重要なのは、一緒に過ごして、何か音の交換をして。。
音の交換をするのって、結構いろいろ伝わるもんだと思う。
相手が言った言葉を繰り返すだけでも、
楽しいのか、疲れているのか、退屈なのか、、伝えあえる。
言葉を知らない赤ちゃんでも、周囲とつながりが持てるのと同じことだ。
一緒に過ごした分だけ、二人の間での音の交換から、暗号みたいのが生まれて、
二人だけの言葉ができたり。
それに、言葉がわからなくても、
その人がどんな顔をしているのか、どんな声なのか、どんな食べ方をするのか、
どんな雰囲気をもっているのかわかるし、
家族の写真なんて見せてもらえちゃったら、その人を好きになったり、嫌いになったりできる。
その人がどんな学校を出ているのか、どんな本が好きなのか、なにを考えて生きてるのか、
知ることが出来るってとても素晴らしいことだ。
でも、焦ってそれを知る必要はないと思うんだ。
なんだかね、その人をどれだけ好きかっていう時に、
その人の事をどれだけ知っているかで測ろうとしている節はあるなあと。
その人がいい学校を出ていて、センスのいい本を読んでいて、素晴らしい夢を持っていて、
うん。素敵な人だけど、じゃあ愛してって言われても無理かなって。
それよりも、いい顔してたり、声がツボだったり、食べ方がすっきりしてたり、一緒にいると楽しくなったり
そういうので私は人にはまるかな。
言葉で知るような具体的な物事で人を評価する世界ってなんだか窮屈で。
言葉にすると、その言葉にふさわしいような人でなきゃいけない気分になったり、
なんだか自分は違うなーっていう違和感を感じちゃったりして、
変に疲れるし。
私はきっとばーばるじゃないんだ。左脳人間だけど。
でも人間みんなそんな感じは持ってるんじゃないかな。
