今日、思った。。。
私って、話題少ない。。!!
午後友達と3人で話してたんだけど、
一人は関西(くくり大きいか!?)、一人は福岡出身のコで、
話してて途中で気づいた。。。
私のしゃべる分量少なくない!?
結局、二時間くらい立ち話してたんだけど、
ふたりはズーっとテンション高いまましゃべり続ける。
私も合いの手いれつつ、少しは自分の意見いれつつ話してたけど、
話の流れは、気づいたら後の二人が握っていた。。。
二人ともポンポン自分のしゃべりたい方へ話をかえつつ、
テンション保ったまま、熱く語っていた。
この二人は私の友達の中でも特によくしゃべる二人とはいえ、
よくもこんなに話し続けられるなぁと内心密かに感心した。。
そこで浮かんだ今年の目標
“熱く語れる人になる!!”
コレが周りの人々にとって、望まれていることなのかは正直わからない。
むしろ、こんな暑苦しい人とは、話してられない
もしくは、年頃の若い女子として口泡飛ばしてしゃべるなんて、はしたないわっ!!
という批判もあるだろう。。。
ぇえ、ええ予想していますよ。。。
でも、熱く語るというのは、見た目がちょっとダサい
というマイナスポイントを上回る魅力があると思う。
それに、実はこの思いは今に始まったことではない。
去年の暮れぐらいにはすでに憧れを持って、“熱い人”を眺めていたもんだ。。。
ある“熱い人”は音楽について、自分がいかに音楽を愛しているか、
どういう理由で指揮者への道をあきらめたのか。。。
を語っており、興奮しながら
『俺にはカリスマ性がないんだーっっ!!!』
とうめいた。。。
その瞬間私は。。。
コレこそが青春じゃっっ!!
と同調して熱くなったものだった。。。
ぃや、お酒の席だったものでね。。。
冷静に考えてみれば、その人には失礼だが、
指揮者、それも名のある指揮者になろうと思えば、
それは、どれほど困難な道であることか。。。
この人に仮にカリスマ性が神から与えられていたとしても、
いいトコ、高校合唱団でタクトを振るっているくらいではないか。。。??
幼いころからの訓練が必要で、そう片手間にできるものであるはずがない。
つまり、熱く語ることには、多少の無理や矛盾は許されるものなのだ。
話を元に戻して、二人の会話を振り返ってみる。。。
なるほど確かに、それぞれよく考えているなぁ。。。
と、素直に思う。 さすが話題も興味深いもので、聞いていて面白い。。。
んだけど、完成度がそれほど高いわけではないし、
まとまりがあるわけではない。。。
ただ、そのとき自分はこう思ったんだーーー!!!
っていうことを、ストレートに、情熱を持って話している。。。
私にだって、日々細々とした物事に対して感じることはある。
それを、そのときの感情をいかに忘れず、情熱を持って、語れるかが問題なのだ。
結局熱く語るというのは、特別なことを語らなければいけないということではない。
自分がどんな特別なことを感じているか、体験しているかということよりも、
いかに情熱を持って語るかという技術が重要なのだ。
こう考えると、私にも何か発信できることがあるかもしれない。
いつか誰かをハッとさせるような話ができるようになるかもしれない。
最近何かを誰かに伝えるということの重要性を感じるようになった。
大事なのは、日々自分が感じたことを、どんなに細かいことであっても、
大切にしながら生活していくことなのだ。