4月の下旬、私はPTA活動で小学校にいた。
役員のみんなとワイワイしながら作業しているとき、妹からLINEの着信。
何気なく見ると・・、
「お父さんが脳梗塞で倒れて、病院に行ったみたい。今、お兄ちゃんからの連絡待ち。」
「え・・・?」
読んだ瞬間は意味を読み取ることができず、その短いLINEを何度か読み返した。
「脳梗塞??どんな状態なんだろう。弟、今日仕事休みだったのか、良かった!」
弟に電話してみてももちろん繋がらず、気もそぞろのままPTA活動を続けた。たびたび、心ここにあらずになっている自分に気づいてハッとする。どうしても集中できなくて、役員のみんなに訳を話すと、同年代の集まりだからみんな驚き心配してくれて・・。
実家の母に連絡が付いたのは、8時間以上経った頃だった。
「お父さん、脳梗塞だけどとても軽くて、自分で歩けてるし入院の書類も自分で書けるくらいなの。数週間入院するけど、あまり心配しないで大丈夫よ」とのこと。
やっと様子を聞けて、本当に安心したのを覚えている。
脳梗塞と聞くと、命の危険がありそうで・・。程度も様子も分からず、子供二人を連れてとりあえず病院へ向かったほうが良いのか、このまま連絡を待ったらよいのか。冷静な判断ができない状態だった。長い8時間だった。
年を取っていけば、誰だってこういうことになる。もちろん分かっているつもりだったけど、「分かってたつもりだった」ということを身をもって思い知った。「こういうことが本当に来るんだ」と、カードを急に目の前に突き出されて、怖くなった。
私は中学生の頃から、不摂生で生活がだらしなく、すぐに逆上して大声で怒鳴ったりしてくる父が嫌いだった。「育ててくれたことへの感謝」で蓋をしているけれど、その下には軽蔑と嫌悪がずっとある。
「あんなに不摂生でだらしないんだから、そのうち病気になって当然!不摂生を注意すると怒鳴ってくるんだから、病気になっても頼ってくるな!」と思ってたし、今でも根本的にこの考えはは変わらない。
でも、父が倒れたと聞いたとき、自分で自分に驚くほど動揺した。「私が父のことでこんなに動揺するんだ」と、その自分が意外だった。
この日から、自分の中でほんの少しだけ何かが変わった気がする。今までよりも少しだけ両親のことを思う時間が増えた。「会いに行く」という実行動に出るまではいかないんだけど・・。
「父への愛」が生まれてきたわけではない。申し訳ないけれど、これは本音。
「いつか来る日」への、自分の心の準備を、自分が無意識のうちに始めているのか。
私の今までの環境では、当たり前に存在している両親が、いつかいなくなる。自分がそういう年齢になってきたと自覚しなければいけないことを、思い知った日だった。