まだ 家庭がごく平穏に見えていた頃。

ベランダを好みに仕立てたり、絵画教室で絵のモチーフにするため、
近所にある数件の花屋さんによく足を運んでいた。

なんといっても そこは、いつも季節の花々に彩られた小さな植物
園だった。


確かあれは夏の終わり、店の隅に 今にも命の灯火が消えてしまい
そうなはなきりんが、”ご自由にお持ちください”の貼り紙を付けら
れてぽつりといた。

棘のある植物は苦手なこともわすれて、
「これ、いただいてもいいですか。」
と、顔見知りの店員さんに声をかけていた。

他の花たちと一緒に自転車のかごに入れながら、"ただ"だから欲し
かったのかと 自分に問いかけてみたけれど、違う。

葉は落ち、数えるほどの花も色褪せ、飾るという言葉は 残念なが
らふさわしくなかった。

でも私は、生死の分かれ目に佇む小さな命が愛しかった。

家に帰ると育て方を調べ、日当たりのいい窓越しにはなきりんを置
いた。



剪定を繰り返し、3年も経つと、はなきりんはこんもりと繁り、一
年中絶やすことなく花を振舞ってくれた。

水分を好み、丈夫かと思うと 少し環境を変えただけで花を落とし
てしまうような、デリケートな面も持ち合わせた性格もわかってき
て、私はますますはなきりんを可愛がった。

素焼きのふっくらとした形の鉢がよく似合って、もちろん生花店の
片隅でうつむいていた頃の面影はもうない。

私は、剪定したものが捨てられなくて水に挿しては発根させ、また
土に戻して小さな鉢に植えて増やした。

私には大きいのがひとつあれば十分なので、友達や母が欲しいと言
えばあげることができたし、落ちた花で、手のひらに収まるほどの
小さなリースを子供たちと作ったりした。


そんなある日、私は はなきりんの様子がおかしいことに気付いた。


場所を変えたり、水をやり損ねた時など、同じように一部の葉が黄色
くなって落ちたり、花がたくさん落ちたりという経験は何度かあった
ので、少し様子をみようとサッシを閉めてカーテンを引いた。




翌日、はなきりんは枯れた。




はっきりとした原因はわからないものの、繁茂しすぎたものが突然枯
れるということは、ベランダの鉢植えには珍しくない。

小さな苗から十数年かけて育てたゴールドクレストは、私の背丈も越
すまでに成長したが、自らの繁りすぎた葉で風通しが悪くなって枯れ
てしまったし、
鶏肉のハーブ焼きに欠かせなかったローズマリーは根が張りすぎて、
突然だめになってしまった。




繁栄と崩壊はいつも背中合わせで、
地球もまた これに然りかと思うと、のんびりとしてはいられない。