決して両親からたっぷりの愛を受けて育ったとはいえない私は、
ある出来事をきっかけにひとつの決断をしました。
牧師からの勧めもあり、いつまでも続く両親からの支配的な行動から逃れるために、
両親との関係を疎遠にすると決めたのです。
私は、自分からにじみ出た悲しみと孤独に溺れ、自分の価値などかけらも感じられなくなりました。
そして愛する人に、私の話を一から十まで聞いてもらって、
やさしい言葉をかけてもらえるのが当たり前と思い込み、それを求めました。
けれど、どんなに幸せそうに見える人でも、人はそれぞれ重い荷物を背負っているのです。
求めるという行為は、とても一方的で利己的な考えで、決してひとの心を満たしません。
さらに 悲しみに溺れ、何も見えなくなった私は、恋人に対しても
「こんな私が愛させるわけがない。彼は何故、こんな私に電話をかけてくるのだろう。」
と、何に対しても苛立ち、投げやりになりました。
私は悲しみにとらわれる余り、今まで勉強してきた大切な言葉の数々を、全て 忘れてしまっていたのです。
ですが、今朝 ここでのみなさんの言葉のやり取りに救われました。
愛されることの素晴らしさに、愛することの素晴らしさに、無償の愛の存在に気付かされました。
響ちゃん、拗ねていじけた私に 愛ある言葉を送り続けてくれてどうもありがとう。
私はあなたから受け取った無償の愛を、今痛いほど感じています。
「寄り添う」響ちゃんがよく使う言葉です。
私はその言葉の意味がやっとわかりました。
あなたは抜け殻のようになった私に、言葉を送り続けるという 行動をもって愛を示してくれたのです。
あなたの言葉の魂が私を救ってくれました。
導き、引き上げてくれて本当にありがとう。
素晴らしいあなたに、彼に、ここに集まる人々に巡り合えたこと、この場に居合わせたことに深く感謝します。
どうもありがとうございました。