
ウチの子:神奈川県の公立中学1年生。
2027年2月高校受験予定です。
現在学習塾ステップに通塾中
ステップの面談後、この春に受かった子の名前と学校名が廊下に貼り出してあって
それを見て、夫とあーだこーだ言って帰ってきたんですが、夫と(意外にも?)意見が一致したことがありました。
絶対に行かない、行かせない高校
例え偏差値がどんなに高くてもここは行かない(行かせない)という高校について。
家庭ごとの価値観でもあるので、実名は避けますが
私も夫も子供をそこに入れようとは思わない、という共通認識です。
その一つとして、教育カリキュラムに疑問があるA高校(仮)
詰め込み型の塾のような学校
毎月のテスト毎に順位で席が変わる
え。塾じゃん
ちなみに、そこに中学受験して通った私の小学校の同級生は、精神的に病んで、引きこもりからのフリーター
社会人になってfacebookで繋がって知ったのですが、
仲の良かった友達は皆んな地元の中学に通ったので、本人も公立の中学校に行ってサッカーがしたかった。。。と言っていました。
(当時はクラスの3人いる人気男子爽やかサッカー少年のうちの1人でした)
同窓会で会った時には、すっかり変わってしまっていてボソボソ…と話をする、そんな感じになっていて驚いたのを覚えています。
その子の親も後悔していました。
でも後から"調べが甘かった"、"子供の適正にあってなかった"、では済まされない。
子供の人生が変わるほどの事が、その学校では行われているんだ、と衝撃だった、、、と夫に話した事があります。
夫も同意見で、夫の友人も同じでした。
同じA高校で、引きこもりではなかったけど、マンモス校の勉強詰め込み型に精神がやられて、
同級生には自殺した子がいたり、自身も大学受験へ向けてのメンタルが保てなくなった時期があった。。。と。

なぜ学校に行くのか
我が家では、"なぜ学校に行くのか"という、子供の良くある質問に対しては、必ずこう答えます。
『学校は社会に出る練習をする場所』
社会に出たら、絶対1人では生きていけない。
だから集団生活を行う上で大切なことを学ぶ学校に行かないといけないんだよ、と。
小学校は地域の同じような環境の人との交流。
中学は、少し大きめのエリアになって、同じ地域だけど違う小学校出身の人との交流。
高校はさらに大きな括りで、大学はさらにさらに、、、と段々交流する人が様々になっていく。
そうやって、社会に出てからも人との関わりに困らないように、練習して大きくなっていくんだよ。
例えば、ケンカやイジメがあったとする、その時どうするか??
何かを壊してしまった、怪我した(させた)、寝坊、遅刻、忘れものetc…
その時どうするか??その後どうするか??
生きていれば、人間として成長するために考えることが沢山ある。
学校の先生は勉強だけを教えるてるんじゃ無い。
クラスとしての在り方、その中の個人の在り方も教える。
それが国家資格を持った教育者な訳で。
勉強だけやってれば良いと思っているなら、塾だけ行けば良いでしょう。
塾の先生は資格の有無は関係ないからね。
学校での勉強も、もちろん大切だけど、
それ以上に
係やクラブ活動や、遠足や運動会などの行事を通して、
皆んなで協力して何かをやり遂げるとか
集団で何かをやる時に、自分はどうすべきか、を学校で学ぶべき!
繊細な子に詰め込み教育型は難しい
意外と繊細?なところがあるウチの子。
環境に慣れるまでの緊張感ったら、本当に可哀想なほど。
今年の4月、地元のほとんどの同級生が進学する中学に行く時ですら悪夢を見るというヤワっぷり
親としては、学校のそういう情報もキチッとキャッチして、整理して見極めたい
偏差値や対外的な情報だけに惑わされないように、ウチの子とその学校はマッチするのか
→偏ったガリ勉に育てたい訳ではない(言い方!笑)
→高校で人数が多すぎて顔が全く分からない人がいる、みたいなマンモス学校も違う
→自分でカリキュラムを組んで教室移動しまくる学校…も違うし
→専門性を極めまくったような内容の学校も違う(高校ではまだそこまでじゃない。やりたい事があったら別)
なんて思っていたら、だいぶ絞られてくるのかな
ちなみにウチの子の基準(今の所)
→汚い校舎
→ケバ過ぎパリピ学校
→駅から遠い
→制服あるなら可愛いほうがいい
親の意見とは全く異なる条件。
子供らしいといえば子供らしい…ね。。。
しかしこれ、全部の条件を満たすのは意外と難しくないかい笑
中1の余裕。
今のうちに色々見て、家の方針、子供の性格と、合う・合わないを感じておくのは、無駄じゃ無い気がする