蓮寺を求めて奈良のお寺へ。奈良の唐招提寺に来ました。

幾度か訪れたことのある唐招提寺でしたけど、夏は蓮が咲いてることを初めて知りました。

唐招提寺の建立は中国の唐の高僧だった鑑真。小中学校の教科書にも出てくる有名な僧侶です。鑑真がこの時代の日本の仏教に与えた影響はとても大きく、もし鑑真が来日していなかったら日本にこれだけ広く仏教が伝わっていなかったのではないか、と思います。

当時、平城京では見よう見まねで仏教を日本の国教へ発展させていた時代で、中国へ渡っていた遣唐使の留学僧たちが魅了されて是非日本へ来て正式の伝戒の師になって欲しいと哀願をした高僧が鑑真でした。重要な立場だった鑑真が唐を離れることには当然ながら弟子たちは反発しました。

しかし鑑真自身も発展途上の日本で仏教を広めることに強い使命感を感じていて、渡航が困難だった時代の命がけの日本行きを決意して、失敗を繰り返しながら10年に渡って何度も渡航に挑戦しました。この渡航は密航で、唐にとっては犯罪行為でした。そして6回目の渡航で遂に日本へ上陸を果たします。しかしこの6回の渡航の代償は大きく、一緒に行動を共にしてきた僧たちが命を落とし、鑑真自身も苦労が祟って両目を失明しました。

鑑真は平城京に到着して聖武上皇の歓待を受け、その後は東大寺大仏殿に戒壇を築いて多くの僧の育成に務めました。晩年は唐招提寺で過ごしたそうです。日本行きを決意してから渡航まで10年。日本に来てから亡くなるまで10年。天平宝字7年(763年)に唐招提寺で息を引き取りました。享年76。

奈良にはその時代に大きく影響を与えた高僧が多いですけど、鑑真もまたその一人で、唐の高僧という点ではこれだけ影響を与えたのは唯一とも言える存在だったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松尾寺は厄除けお祓いのお寺でした。養老2年(718)、天武天皇の皇子・舎人親王の建立です。「日本書紀」の完成と自らの42歳の厄除けを祈願したそうです。日本書紀ができる前の時代というのが、さすが奈良のお寺だなと思います。厄除け寺としては日本最古だそうです。

法隆寺の別院とも呼ばれたそうで、法隆寺はここから一緒に参拝できる近距離にありました。

石段が続く参道。いいですねぇ。。

奈良はこういう山寺が多いですね。京都のような洗練された庭園や落ち葉一つ落ちていないような手入れの届いた境内もいいけど、こういう山寺も全く違った趣があって好きです。古寺独特の味は山寺しかありません。

 

 

松尾寺は室町時代以降は修験道当山派の拠点としても栄えたそうです。この不動明王の石像は修験道を象徴する仏様です。 

 

 

 

 

 

この朽ちかけた石段がたまりませんでした。

 

 

梅雨時の雨でぬかるんだ石が崩れたら崖から落っこちそうでした。

 

 

 

 

 

 

松尾山神社(まつのうさんじんじゃ)という神社がお寺の中にありました。現在では神仏習合が残っている神社仏閣は殆ど無くなってしまいましたが、その名残が色濃く残っている貴重な場所です。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆり寺を探していて見つけた松尾寺。 奈良県大和郡にありました。初めて知ったお寺だったのですが、京都の舞鶴にある西国二十九番札所とは別のお寺とのことでした。

ゆり園があるお寺ということで、混雑や渋滞も覚悟して行ったのですが、週末だったというのに意外なほど観光客は少なくてゆっくりと参拝もできました。外国人も一人も見かけませんでした。

やっぱり改めて関西は観光地が多いなと感じます。名古屋に住んでいた自分は、こんな素晴らしいお寺は花の咲く時期には混雑するのが当たり前の感覚なのですが、関西は客が分散するんでしょうね。