今日はブログのアップが遅くなりましたぁ~
昨日の夕方、ブログ友のKAYOKOさんが来ました。
それで、いつもの如く、呑んだくれ~な夜に・・・
今、ブログにアップしている親父の写真なんぞを見まして、
「これが問題の爺いかぁ~」と・・・笑
写真をブログにアップしちゃおうかぁ~等など・・笑
まっ、詳細な話しはKAYOKO さんがアップすると思うので、
そちらをお読み下さい。。
ではでは・・・親父の話しを・・・
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そして、家を建てて、3年後にその終わりがやって来ました。
機械代金の手形の不渡りを出しました。
一度ならず、二度までも。
事実上、クリーニング屋は倒産です。
不渡り手形を出した後も、直ぐに閉店にはなりません。
機械代金・住宅ローン・材料費等の未払いがあっても、
数ヶ月は何もなかったように仕事は出来ました。
しかし、もはや先は見えています。
毎日、取りたての電話は鳴ります。
店がそんな状態になっても、親父の生活は変わりません。
店を潰したと、兄に怒ります。
兄がだらしないから、こうなったと責めます。
その言葉に兄は黙っていました。
店を建て直すかどうするかの瀬戸際の話し合いになった頃、
私はくたびれ果てていました。
今まで因業親父の作った一人舞台で、
賄われて来た事を痛切に感じました。
親父が作った舞台の上で、我々は踊らされていたのです。
しかしその演出者が突如、舞台放置したのです。
舞台上の私達はぼーぜんとするだけでした。
親父に連絡を取っても、中々自宅には戻って来ませんでした。
そして、最終的に、
親父は如何わしい業者に家を貸すと言い出しました。
そして「賃貸契約を結ぶ」と・・
現在は法律で禁じられている事ですが、当時は許されていました。
その契約は、貸す業者に2000万の借財の担保で、
住居を貸すと云う内容でした。
そして、この書類を公証人役場で作成しました。
こうする事で、住宅ローンの未払いがあっても、
簡単に競売に掛けられないと言う事でした。
だからと云って、私達がその家に住んでいられるものでもなく、
引越し資金の100万円を貰う事になりりました。
そして、私達が引っ越した後に、
その業者の人がそこに住み、
立退き料として、ローン会社から、
お金を巻き上げると云う事です。
この親父の指図に従ったのは言うまでもありません。
そして、引越しするまでの間、
私と兄は機械メーカーさんや他の業者さんとの話し合いをしました。
機械の残金は機械の撤収で、納まる額になり、
残額は相殺されました。
車の代金も、車を返却する事で、残額相殺が出来ました。
このよう店に関わる事に関しては、
殆ど残債を残す事無く処理が出来ました。
これらの処理をするのに、
私と兄は相手方会社に出向いたりと忙しく時間を過ごしました。
その間、親父は知らん振りでした。
自宅に顔を出す事もありませんでした。
私と夫との悶着は当然の事ながらありましたが、
流れに逆らう事も出来る筈もありません。
夫すらも、親父の舞台の役者だったのですから・・・
そして、引越しは私達家族と母と兄が同居出来る一軒家を探しました。
5DKの広い家でしたので、当時6歳だった娘の部屋も確保出来、
二世帯住宅に居た頃よりも快適でした。
しかし、わたしには、
夫の執拗なまでもの責め苦の日々が始まりました。
そして・・・・
私と兄名義の借財は残っていました。
続く・・・・・