【異変】
パーン。
くぐもった乾いた音と、小さな悲鳴が聞こえた。
俺は颯爽と屋上から飛びおりた。とかっこいい事を言いたい所だが、生憎ここは5階建て。
俺は3段飛ばしで階段を駆け下りた。
こういう緊急事態だからこそ、冷静沈着が俺のモットー。
「クールになるんだミニー」
俺は自分に言い聞かせながら部屋へと急いだ。
303号室は鍵がかかっていた。俺は無駄だと思いながら、チャイムを連打した。
「は~い」
「ん・・・・・・」
ガチャリ
無機質な音を立てて中からネグリジェ姿のキミーが現れた。
「何でしょうか?」
キミーは素っ頓狂な顔をして、俺に尋ねた。
なにかがおかしい。俺は疑問を抱きつつ尋ねた。
「さっき銃声のような音と悲鳴が聞こえたんだが・・・」
俺は訝しげな表情で彼女に尋ねると・・・
「あぁ・・・すいません。あれは放屁です。あまりにも大きすぎてビックリしちゃって・・・」
「な・・・」
プチン
俺の中でなにかが弾けた。
全身の筋肉が隆起し、血流が逆流し、まずいと感じた時には、渾身の右ストレートがキミーの顔面を捕らえていた。
余談だが・・・
ゲームセンターのパンチングマシーンは必ずしも実際のパンチ力を反映するものでは無い。
パンチ力は生まれつきの要素がかなりあり、何の稽古もしてないのに強いパンチ力を持った奴もいる。
しかし、どんなに素質のある奴でも、素質のほとんど無い奴が10年間目的を持って稽古続けた人間の拳の破壊力には足元にも及ば無い。
ちなみに稽古によって大きく伸びるのはフックよりストレートだ。
まずひじが外に逃げないように注意する。最初は力が入らないような感じでも腕全体が直線上をまっすぐ動くようにゆっくり稽古を行う。
ある程度形が自分のものになったら、サンドバックのようなものを実際叩く。
拳は巻きわら等で鍛える。
パワー不足を感じたら、まず腕立て伏せ(拳たて伏せ)を行う。
20回以上簡単にできる人間は足を高い所において行う。
逆立ちしてやれる人間はやっても良いが、よほど力がないと、特に拳立ては手首を折ってしまうことがある。
上腕と前腕の筋力をつける事が先決。
突きの稽古をするとき軽めのダンベルを持って行うのも効果的だ。
一番良いのはスーパーセーフ等の防具をつけてお互い拳だけで自由組み手を数多く行うこと。
パンチはリラックスして腕の重量を自分で感じるような突きが一番効く。
キミーは約2mほどふっとんだ。
吹っ飛んだキミーに間髪入れず馬乗りになり俺はパウンドを炸裂した。
余談だが・・・
パウンドとは、グラウンドパンチを広義に解釈した事だ。
グラウンドパンチは総合格闘技のグラウンド(状態)では最もポピュラーな攻撃方法。主に顔面に向けて使用される(多くは上になった者が使用するが、下から攻撃する者もいる)。防御する側の頭の下は地面であるため、パワーを逃がすことが難しく、ダメージが蓄積しやすい。そのため防御方法を知らないと攻撃側の技術が未熟でも大きなダメージを受けてしまう。ただし現在はグラウンドパンチの防御に長けたブラジリアン柔術の技術が普及することによって基本的な防御技術を習得している選手が増え、この攻撃で十分な成果を出すにはある程度の技術が必要になってきている。またパンチでは拳を痛める可能性があるため、肘打ちが認められるルールでは肘打ちの方が重視されるようになってきている。
計18発のパンチ及び肘を打ち終えた所で俺は正気に戻った。
「すまない大丈夫か?」
・・・・・・
どうやら気絶しているようだ。
俺は自分の未熟さ(ここでいう未熟さとは状況を冷静に判断できない自分の弱さをさす)を恨みながら、
部屋に土足であがりこんだ。
部屋は綺麗な2LDKだった。ピンクを基調とし、所々に花が咲いている。
ふと、俺の視界に一組の写真立てが飛び込んだ。
どこかの埠頭だろうか。満面の笑みを浮かべたキミーの横に2mを超える大男・・・どこかで見たような・・・・
・・・・・イシナダだ。
昨日トビーのマンションで見かけたあの男だ。
しかしなぜキミーとイシナダが・・・。俺は深まる謎に偏頭痛を感じながらもキミーの回復を待った。
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
3日目の朝、キミーは意識を取り戻した。
「大丈夫か?すまないことをした。」
俺は心の底から謝罪の言葉を口にした。
「ん・・大丈夫よ」
俺は完全に変形した顔面になりながらも気丈に振舞う彼女に心から申し訳けなく、自分への猜疑心にさいなまれた。
「とりあえずコーヒーを入れるわね。」
キミーはよろめきながら立ち上がると、キッチンに姿を消した。呆然と立ちすくむ俺。
「あがってください」
キミーの優しい言葉に俺は我に帰り、土足のまま部屋に上がりこんだ。
キミーはトチーが入れるコーヒーの約80%弱のうまさのコーヒーを運んでくれた。
俺は機を見て質問した。
「あの写真の彼は?」
2mの大男を指指し俺は尋ねた。
「あぁ・・あれね」
コーヒーを一口飲んだ後、キミーは語り始めた。
「あの人とはもう5年の付き合いになるわ。ずっーとつかず離れずの繰り返し。良くあるパターンよね。実はあなたが『蟻の巣』に来て、孝子ママに呼ばれた時ピンときたの。あの人の事なんじゃないかってね。」
キミーは涙を浮かべながら、天井を見上げた。
天井にはヴァン・ヘレンのポスターが貼ってあった。
俺はキミーが語り始めるまで待った。
・・・・・
・・・・・
・・・・・
30分後。決意に満ちた目でキミーはゆっくり語りはじめた。
「4日前私は彼の部屋に出かけたの。そう別れを告げる為にね。」
そうあの日は生憎曇り空。まさに私達の別れに相応しい夜だったわ。お店を終わると私はまっすぐ彼の家に向かったの・・・・私は彼の部屋にあがるなり彼にこう言ったわ。
「私ももう来年30よ。もう待てないの別れましょう。」
もしかしたら少しは引き止めてほしかったのかも知れない、だけど彼は・・・・
「わかった。今までありがとな。どうせ他に男でも出来たんだろ?」
私許せなかった。
気づいたら、テーブルの上の灰皿で彼を殴ってた。何回いや何十回と殴ったかも知れない。ふと我に返った時には横たわった彼がいたの。
・・・俺は突然の怒りに我を忘れる彼女を内心バカにしながら、彼女の話に耳を傾けた。クールに行こうぜ。・・・
私怖くなって、外に飛び出したの。その時偶然・・・
「トビーに会ったんだな?」
俺は間髪入れずに問うた。
ゆっくり頷くキミー。
トビーさんはお店のお客さんで実はその日もお店に来ていてくれたの。まさかこの人の隣人だなんて夢にも思わないじゃない。トビーさんには日ごろからお世話になっているから、思わずその時行った出来事を全部打ち明けたの。
トビーさんは一言、
「俺に任せて君は帰りなさい」と言ってくれたわ。
私は恐怖に駆られて飛び出したの。
それからの事は何も・・・・
俺はキミーの瞳を見つめた。恐怖に駆られたリックフレアーの目をしている。
俺は「君は何にも心配しなくていい、そして俺と会った出来事は全て忘れてほしい」と告げ、ポケットから2千円札を取り出し、テーブルに置いた。
「私そんなつもりじゃ・・」
俺は彼女の言葉を遮って、部屋を後にした。
一旦事務所に戻り、今までの事を整理しよう。俺は心に誓いながら、愛車のベスパをローリングした。
事務所に戻るとトチーがいつものような満面の笑顔で出迎えてくれた。
「ミニーさん。先ほどイディーさんからお電話がありました。詳しい内容はメールでって。後、報酬宜しくだそうです。」
俺は返事もせずPCを立ち上げた。
メールが1件。
イディーからの内容はこうだ。
「わかりません」
俺はトチーにイディーへの報酬を手渡すと、銀行への振込みを指示した。
「え~。今から銀行にいくんですかぁ~?」
コウモリのような声で俺に嫌味をたれてくる。
「おまえしだいだ」
俺はぶっきらぼうに言い放った。気づくとトチーは事務所から消えていた。
俺はテーブルに足を乗せ、タバコに火をつけた。今まで起こった事を整理をしよう。
まず、キミーとイシナダは元恋人?
そして、イシナダとトビーは隣人。(お互いあの夜まで知らなかった?)
最後に、キミーに殴られたイシナダは生きているが、トビーの行方がわからない。
謎は・・・
トビーはどこにいるのか?(そもそもそれが俺の仕事)
キミーが別れを告げた夜にトビーとイシナダの間に何があったのか?
そして何より俺への依頼人は誰?
深まる謎に偏頭痛を覚えながら俺の意識は深い眠りの中に落ちていった・・・
そして夢を見た
小学生のイ・スヒョンは、母親のギョンファとタイで暮らしていた。検事であるギョンファは国際犯罪組織、青幇(チンパン)を壊滅させようと捜査に明け暮れる日々を送っていた。ある日、スヒョンはアリという少女と出会う。2人は心を通い合わせるようになるが、やがてアリは両親が離婚するためタイを離れることに。幼い2人は再会を誓う。その頃、ギョンファは大規模な麻薬取引の情報を入手し、韓国の諜報員であるカン・ジュンホと共に現場に向かっていた。そして・・・
「ん・・・さ・・ん・・・さん・・・ミニーさん」
甲高い声で目が覚めた。
「ん・・・なんだ?」
目をこすりながら不機嫌な声で返事をする俺。
「ミニーさん。振込み終了しました」
相手が寝てるのを起こしてまで報告するトチーのTPOの無さに愕然としながら、俺は目覚めた。
ねっとりとねばりついた汗を振りほどき、ゆっくり体を起こした。悪い夢でもみたか・・
俺がやるべき事は一つ、イシナダだ。
俺は青葉台へベスパを走らせたい所だが、腕立て・腹筋・背筋を100回こなす。
毎日の日課はかかさない。
余談だが・・・
スポーツ界では『柔よく剛を制す』の言葉に表れているように、テクニックを重視しパワーを軽視する傾向が見られた。そのため最近まで、筋力トレーニングを導入する事に抵抗を感じるスポーツの指導者が多かった。
筋力トレーニングによって起きる弊害とされてきた誤解には
- 身体が硬くなる (石)
- スピードが落ちる (亀)
- 見せかけだけの身体になる (浜口)
- 疾病に対する抵抗力が下がる (柳ユウレイ)
- 筋力トレーニングで得たパワーは、実際の競技では役に立たない (堀井B)
などがあり、こうした情報による指導者の筋力トレーニングへの無理解が、結果として各種競技の国際大会における日本人選手の低迷を招いてしまった。
だが、近年は指導者の世代交代が進んだ事により、筋力トレーニングが本格的に導入されるようになっている。
筋トレ・シャワー・ミネラルウォーター。3点セットが終了すると、俺は足早に青葉台へベスパを走らせた。
もちろん目的はイシナダだ。
青葉台についた頃には夜の1時を過ぎた頃だった。(ちなみに俺の時計は正確無比の電子時計だ)
俺は足早に階段を上がると、部屋の前で様子を伺った。部屋から音はしない。(まぁ寝てるのは当たり前だが)
俺はドアノブをゆっくりまわしてみた。
カチャリ
ドアはまるで俺を中に誘うようにひらいた。
俺は周囲を確認しつつ部屋に侵入した。
部屋の中は真っ暗だった。電気をつける訳にはいかないので、俺は携帯電話を開き、画面の光を頼りに部屋へ一歩土足で踏みいれた。
ガツン
俺は急に後頭部への衝撃を感じ、振り向いた。
薄れ行く意識の中で、声にならない声で呟いた「お前だったのか・・・」
次回【真相】に続く