奇妙な発がんの論理  お酒と被曝







福島原発事故が起こり、おそらくはこの事故が日本人の思考範囲の外にあったのでしょう。奇妙な論理がいくつも横行しています。


その一つが朝日新聞が展開した「どうせ1億人に3000万人がガンで死ぬのだから、福島原発で100ミリシーベルトをあびて50万人が死んでも、問題はない」という話で、これは笑い話にもならないでしょう。


「どうせ、1億人の人間がすべて死ぬのだから、大震災で3万人が亡くなったって、なにが問題だ」


「どうせ、交通事故で1年に5000人も死ぬのだから、酔っぱらい運転で4人、死んだからといって問題では無い」


などとムチャクチャなことも言えるようになります。


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朝日新聞や原子力安全委員が国会で言ったこのようなことは、福島原発で生まれた奇妙な現象の一つとして、今後、心理学などで取り上げてくれるでしょう。


この話と一緒にやや面倒な理屈も言われています.主に「お医者さん」からですが、


「1年100ミリシーベルトで発がんが0.5%増加するが、1日2合の飲酒では0.6%の増加だから、飲酒より安全だ」


というものです。


これについて、考えてみます.


あたかも理屈が合っているようで、実は詭弁や屁理屈と言われるものがあります。


1) 1年100ミリシーベルトでの発がんの意味
2011年に当時、10才だった子供1000人が被曝し、4年から7年目に5人の子供がガンになった。


2) 1日2合の飲酒の意味
お酒を飲まない人の平均寿命は男性で79才だったが、1000人中、300人がガンで死亡した。これに対して、1日2合のお酒を飲む人の平均寿命は84才で、1000人中、306人がガンが原因だった.


つまり、「原発事故では幼い10才の子供が数年の内にガンになるのだが、お酒を飲む人は若い頃から60年近く飲み続け、死亡原因としてはガンが少し増えている」ということです。


この二つの違いを示してみましょう。


1) 原発事故で被曝するのは「自分の意志」ではなく「強制的に被曝させられた」ということであるのに対して、「お酒を飲む」というのは自分の意志である。
これを「意志あり」と「強制的」によるリスクで整理するのが普通で、「意志あり」の方が100倍から1000倍の危険でも感覚的には同じとされる。


2) 原発事故では寿命が60年ほど短くなっているが、飲酒は死亡原因が変わるだけで、寿命は増加している。


3) 1日2合ほどの飲酒では寿命が延びるので、その分、発がんは増えている。


「意志あり」と「強制的」というものの差についてはこのブログにも書きましたが、まったく異なる統計にしなければならないのです。


人間は時に「冒険」もする動物で、冬山などがそれに当たりますが、冬山の死亡率が何%だから、冬は冬山と同じだけ子供が死んでもかまわないなどということを医者が言うことはないのです。


また、人間が天寿を全うして他界するときに、その原因は、体の老化(心臓、脳など)、他の動物に襲われる(肺炎など)、自分自身(ガンなど)があります。


この中で心臓や脳のアタックで死ぬ人は、いわば「事故」ですが、それが1000人に500人だからといって、交通事故で死ぬのが1000人に5人だからかまわないとは違います.


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私たちの社会は、


ある程度の注意をして天寿を全うする、


できれば80才ぐらいまでが望ましいが、


それは運命が決めることだ、


でも、事故や犯罪にはできるだけ巻き込まれたくないし、


原因を作った人は「悪いことをした」のだから罰せられる、


ということで安定しているのです.


飲酒による80才の死亡原因と、被曝による10才の子供のガンを、「数字だけで比較する」ということをする医師も医師ですが、それを伝える新聞も新聞です.


新聞は「事実」を伝えるべきで、このような荒唐無稽で、間違いとも言える比較をあたかも事実のように伝えるのは「報道の暴力」と言えるでしょう。


(このブログは、「1年100ミリは怖くない.我慢せよ」と言われて反論に困っている人に、少しでもヒントをと思って書きました。)


(平成23年6月10日 午後3時 執筆)





武田邦彦