科学者の日記110607 「原理原則」は大切なこと







「放射性物質は、煮ても焼いても減らない」


「放射性物質があれば、被曝量はそれほど変わらない」


という原理原則が少しずつ浸透してきたようです。


松戸市では市が教育施設などの放射線量を測って、除染を始めるそうです。とにかく取り除けばそれだけ被曝量が減ります.「国が安全と言っています」としていても市は綺麗になりません。


福島の北の方ではPTAと消防団が一緒になって、溝などを除染して大きな成果を上げています.地域の協力が加わり、素晴らしいことです.


減った分だけ被曝が減りますから、今後、何10年とその土地に住む子供達にとっての最高のプレゼントでしょう.


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一方では、せっかく除染しても周囲から放射性物質の粉が飛んできて、同じような値になったところもあります。


でも、放射性物質は無くなりませんし、そこにあれば被曝します.とにかく少しでも減らしていって、早く元に戻さなければならないでしょう。


個人の住宅などは個人の力でできますが、地域全体はやはり国が主導しなければなりませんが、どうも動きが鈍いようです.


むしろ、


「放射性物質を含む瓦礫を全国に拡散する」


「放射性物質を含む食材を「安全だ」と言って全国に拡散する」


「疑わしい乳牛などを移動させて、さらに牛乳の汚染状況を難しくする」


などの反社会的な行為を市長や知事が先頭になって行っているのも困ったものです。


「汚染された野菜を全国に出荷する」というのは、「福島原発にあった汚染物質が、福島の土地に降り、それを吸収した野菜を全国に運搬し、結局、福島原発の汚染物質を「野菜」という媒体に乗せて、全国を汚染している行為」なのです。


「福島原発のものは福島原発へ」


というハッキリした方針を立てて欲しいものです。


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瓦礫などを移動したり、処理したりするためには、国が定めた「クリアランス・レベル」を下回らなければなりません。それは、1年に10マイクロシーベルトが基準です.


これも懲役刑を含む法律で定められているぐらい、人体に影響があるのです。


つまり法律で定められた罰則というのは、罰せられる行為が社会に影響を及ぼす程度によって決まっています.


クリアランス・レベルを超えるものを取り扱っても、社会に影響がなければ懲役刑などを科することは出来ません。その点で、瓦礫を移動したり、処理したりするのは、人体に影響を与えるから懲役刑なので、それは福島原発事故があったから変わるようなものではないからです。


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ところで、私が厳しいことを言うものですから、放射線の強いところに住んでおられて移動できない人から、かなり厳しい指摘を受けます。それについて一言、私の気持ちを書きたいと思います.


私には本当にはお気持ちが判らないかも知れませんが、おそらくストレスの強い、辛い日々と思います.


でも、もし今、「100ミリでよい、20ミリで良い」となると、東電も政府も自治体も土地を、そのままにして以前に戻そうとしないでしょう。


それは、これから100年(半減期の30年の3倍)もの間、私たちの子孫が汚染された土地で生活することになります.


農作物もずっと「汚染されたもの」というレッテルを貼られます.それは農家の方にとって耐えられないことでしょう.


チェルノブイリでは25年経って、今でも汚染地帯は無人ですが、日本はそんなことは出来ません。


だから、今、少し辛くてもこれまでの基準を守り、国際的にも問題がない、綺麗な大地を取り戻すことだけが大切ではないでしょうか?


どこまで綺麗にできるかは不明なところもありますが、単なる「粉」が土の上にあるだけですから、国が全力を挙げて「粉」を取り去る行動をするべきです。


東電の責任、賠償問題、それに国会などでは官僚の責任問題に関心が集まっていますが、私は責任問題を議論する前に、まずは福島を綺麗にして欲しいと思っています.


官僚を処罰しても汚染された土地が残れば、被害は続くからです.


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すでに日本政府はムチャクチャになっていますが、かくなる上は次の選挙まで国民は「政府はいない」ということを覚悟して自衛に勤め、次の選挙では本当に国民の健康を考えてくれる人に投票したいものです。


(平成23年6月7日 午後3時 執筆)





武田邦彦