放射線防護はどのように進んできたか?


もともと「原子力」というのは110年前にキュリー夫人がラジウムを発見するまで、人間はまったく気がつかなかったものです。


さらにアメリカが原子炉や原子爆弾を作る前には「普通の人が放射線で被曝する」などということも無かったので、「どのぐらい被曝したら危険か」ということもまったく念頭に無かったのです.


ところが、広島長崎の原爆があり、原子力発電所が開発されるにつれて「どうも、放射線をあびると健康を害するらしい」ということが判り、戦争が終わってから3年後に、


「被曝限度を決め、一般公衆はその10分の1にする」




という原則をアメリカ放射線防護委員会が決めました。




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まもなく国際的な基準はアメリカから世界(ICRP)に引き継がれ、10年後(1958年)には、




「一般公衆には小児が含まれるので、1年5ミリシーベルトを限度とする」




というのが決まりました。この頃までは「遺伝的異常、白血病」が中心で、まだ「ガン」はあまり検討されていませんでした。




その後、ICRPは1965年、1977年と勧告を出し、徐々にガンの発生率も考慮されるようになり「1年1ミリシーベルト」が定着してきました。




そして、1989年のパリ宣言を経て、1990年に完全に「1年1ミリシーベルト」になり、それが今日まで続いています.




もちろん、この勧告の中には、自然放射線の影響、特に自然放射線が高い地域の問題、放射線以外の危険との関係(足し算)なども慎重に考慮されています.




日本で福島原発を境に「放射線は危険だ」ということから、急に「安全だ」に変わった多くの専門家がいます。その人達は「自然放射線が高い」、「ラドン温泉がある」などと言っていますが、もちろん、そんなことは初歩的なことですから、1990年勧告自体でよく検討されています。




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自由で安全な海外旅行をするためにも、海外の水のペットボトルを買うにも、そして食品以外のものでも、安心して行動するためには国際的に共通した基準がいるのは当然です.




従って、国際勧告に基づいて、国内法が整備されます.




日本の法律は昭和32年にでき、昭和63年に大幅に修正されていますが、いずれもICRPの勧告に沿ったものです。




現在では、ICRPの1990年勧告にもとづいて、2000年10月に「放射線同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」が改正され、国際基本安全基準(BSS)にそって2004年6月に放射性同位元素の下限の数量が決められています。




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先進国として当然ですが、日本も国際的な合意にもとづいて国内法を整備しています.




ある(真面目な)公務員が私に「被曝を規定する法律が日本にあるのですか?」と質問してきました。これには少し驚きました。




そして、法律を作り、それを守るべき国会議員や地方公務員が、以上のような経緯も知らず、「文部大臣が大丈夫と言った」というようなことで、子供に被曝をさせていますが、「日本の文部大臣」が、長い歴史を持つ「放射線と人体の健康」について、新しい考えを出せるはずもないのです。




最近、地方自治体で「1時間1マイクロシーベルト以下だから安全だ」と強弁する市長や役人がいるようですが、その発言は必ず記録にとり、もし、数年後に障害が出た場合、「法律を犯して市民の健康を害した」ということで、せめて責任を追及し、障害を受けた人を救いたいと思います。




でも私は、本当は「日本人が、日本人をいたわる心、誠実な言動」に期待したいのです.




上記のこれまでの歴史から判るように、




1時間0.1マイクロシーベルト以下なら安全、




1時間0.6マイクロシーベルト以下ならかなり注意すればなんとか、




という関係は国際勧告、国内法、これまでの研究の結果、動かないのです.




また、子供は「放射線だけが危険ではなく、その他の危険を合計して守って上げなければならない」という「足し算の原理」があります。




日本のかつての水道の基準には、




「1年1ミリシーベルトが被曝限度だが、日本人は水道だけを飲んで生きているのではない。だから、水道の基準はその10分の1にして、1年0.1ミリシーベルトにする」




という明確な哲学がありました。




水道は水道局のものではなく、水道を飲む人のものだということが良く理解されています.




それから見ると、文部大臣(学校だけのこと)、市役所(自分たちだけのこと)、知事(生産者の売り上げだけのこと)など、情けない限りです.




(平成23年6月7日 午前10時 執筆)






武田邦彦