はじめに

解離性同一性障害(DID:Dissociative Identity Disorder)は、DSM‐Ⅳ(精神疾患の診断・統計マニュアル1994)以降の診断名で、一般的にはICD‐10(国際疾病分類 精神および行動の障害 1992)の多重人格障害(MPD:Multiple Personality Disorder)が広く知られています。

このように多重人格障害とも呼ばれることから、人格障害(境界性人格障害 etc.)と混同されることがありますが、人格障害ではなく、解離性障害(解離性健忘、解離性とん走 etc.)の1つです。誤解を避ける点からも、多重人格障害(MPD)ではなく、「解離性同一性障害(DID)」の呼称を使うことが好ましいと思われます。

DIDは、一人の人間に、明らかに異なると判断される2人以上の人格が存在する病態をいいます。それぞれの人格は独自の行動パターンと記憶をもっていて、各々の人格状態に切り替わったときには、他の人格の考えたりしたりしたことを思い出すことができません。

DIDは幼少期の催眠感受性(被暗示性)の高さを基盤に、度重なる身体的あるいは性的虐待等の外傷体験を通じて形成されます。通常、DIDでは複数の人格状態が確認されます。新たに生み出された人格(交代人格)は、基本人格(出生時にもっている人格)では耐え切れない悲しみや苦しみを引き受けるサバイバル機能、基本人格が自分心の中にあることを許すことができない憎しみ、敵意、奔放さ、甘えなどの感情を代弁する情緒的な回避機能を担っています。

したがって必然的に、交代人格は基本人格にはない性格を備え、基本人格がもてない甘えの上手さや、激しい攻撃性や憎悪、自傷・自殺衝動などをもっていることが多くなります。本来は統合されて1つにまとまっているはずの複雑な欲求や感情を、バラバラに分けて、それぞれの専門担当の人格に振り分けることで基本人格の負担を軽減し、その人に危険すぎる状況と精神的な崩壊を回避する手段がDIDなのです。

このような状態は、爆弾処理グループが「爆弾処理」行っている状態に例えると理解しやすいかもしれません。

爆弾処理に直接手を下すのは1人で十分です。グループ(統合された1つの人格)すべてが傷つくよりも、処理要員の1人(交代人格の1つ)だけが傷つくほうが痛手は少ないといえるでしょう。また、処理場面は隔離されていますから、爆弾処理が仮に失敗しても苦しむのは担当者だけで、他のグループメンバーは、担当者が傷ついても、そのときの様子を見ることはありません。

このようにDIDは、小さな子供が、虐待などの耐え難く避けがたい苦しみや困難を、ダメージを最小限に抑えて生き延びるためのサバイバル術だと考えられるのです。



1.解離とは?
解離とは、耐えがたい苦痛による精神崩壊を防ぐために、痛みを感じなくなったリ、忌々しい記憶やそのときに感じた生々しい感情を自分から切り離すことによって苦痛から逃れる心理的なメカニズムです。解離状態とは、記憶、意識、身体感覚、時間感覚など、本来ならばうまく統合されている精神機能が統一されていない状態といえます。

解離には病的なものと、日常的で健康な人にも起こるものとがあります。解離状態は病的か否かの二者択一的な判断ができるものばかりではなく、病的で治療を要する重篤な状態から、誰にでも起きる日常的なものまでを含めた連続的な精神状態の広がりを指しています。

【日常的な解離の例】

  • 空想にふける
  • 物事に集中していて周囲で起きていることに気づかない
  • ぼうっとしていていつの間にか時間が経っている
  • 映画館で気がついたらおポップコーンの入れ物が空になっている
  • 考え事しながら歩いていて自分がどこをどう歩いてきたか詳しく思い出せない

【病的な解離の例】

  • 数日間(数時間あるいは数ヶ月)の記憶がポッカリ空白になっている
  • 痛みや気分不快をまったく(ほとんど)感じない
  • 周囲の人や物が薄いベールで覆われたように見える
  • 確かに自分がしたと思われることについて記憶がない
  • 周囲の出来事が自分とは無関係に進んでいるように感じられる
  • 生き生きとした自分の感情の流れを感じることができない
  • まるで別人のようだったと他人に知らされるが、そのような覚えがない
  • 気がついたら、まったく見知らぬ場所(あるいは見知らぬ人と一緒)にいた
  • 気がついたら大けがをしていたが記憶がない



2.同一性とは?
同一性とは、その人が考え、感じ、行動する際の統合感であり、一つのまとまりをもった“確かに自分は自分自身である”という確信をいいます。このような同一性は、通常時間や場所が変わっても変化することがありません。

しかし、DIDの人は、この同一性が失われて、多くの場合2人以上の自分(人格)をもっています。それぞれの人格は、自分が主役になった(人格交代した)ときに基本人格(出生時にもっていた本来の人格)とは異なる独自の行動パターンで振舞うため、周囲からはまったく違った人物のように見えます。

しかし、多くの場合、本人(基本人格)には、人格交代時の他の人格(交代人格)が、何を考え、どのように行動するのかはわかりません。自分にいくつもの人格があることに気づかないことが多いのです。

基本人格以外の人格は、名前、性別、年齢などが戸籍上と異なることがあります。

3.よくある誤解
DIDについては、テレビ、雑誌、映画、インターネットなどを通じてしばしば誤解を招く情報が流れ、その誤解が定着してしまっている節が見受けられます。この障害の人格交代の現象が非常にセンセーショナルで人々の興味を強く惹きつけることから、虐待等の深刻な原因論がなおざりにされ、興味本位の取り上げ方がなされていることが、DIDに関する誤った知識を広める原因になっていることはたいへん不幸なことです。

誤解1)性格の多面性との混同

「人には多かれ少なかれ二重人格的なところがある」という人間の性格の多面性を強調する主張がこの種の誤解を典型的に示しています。性格の多面性とは、TPOに応じて、口調や応対の仕方に変化があることを指しますが、DIDにおける人格交代は、口調や態度の変化だけに留まりません。

各人格間の記憶は、多くの場合完全に切り離されており、その隔離の結果は記憶の喪失という典型的な形をとります。人は確かに多面的な生き物といえますが、その多面性は通常1人の人間の記憶として統一されているものであり、たとえば社長に平身低頭していたときの記憶を、帰宅して妻の前で関白ぶりを披露しているときの自分が思い出せないということはありません。

DIDでは、人格ごとの記憶は独立しており、人格Aから人格Bに切り替わったときに、人格Bが人格Aの考えたことやしたことを思い出すことは通常できません。また、自分はどんなことをしていても自分に変わりないという同一性がありませんから、“性格に多面性がある”と感じることはできないのです。DIDの人の目には、交代人格がしたことは他人がしたことのように映ります。

誤解2)解離性同一性障害(多重人格障害)は演技あるいは医原病

誤解3)解離性同一性障害(DID)=境界性人格障害(BPD)

誤解4)解離性障害=解離性同一性障害

< />