産業臨床が嫌いなのに、産業臨床に関わってきた。
なぜだろう?
私の世代は、年功序列、終身雇用制が残っていて、大きな会社に就職するのが
世間的に幸せになることであり、父は当然、それを私に求めたし、
私もまたそれほど自我の確立した人間でもなかったので、企業に就職した。
仕事をやり始めると苦しくなった。普通の人間関係ではいい人が、いざ仕事となると
とんでもなく頑固になったり、自己主張したり、ドライになったりする。
仕事をするということが利害関係を生み、葛藤を生む。
それがうまく処理できずに苦しかったし、ノイローゼにもなった
いまだにそうなのだが、上から言われると折れてしまうし、ルールがあると従うことになる。
とても窮屈で我慢を強いられることばかりだ。
だからといって、大きなもの=組織に属していると安心感があるのでそれにすがってきた面もある
産業が嫌いなのは、儲けるという目的、生産性という押しつけ、合理的という破壊
様々な概念的な枠の中で生きる必要があり、それは話の聞き方にとっても、
その人の人間存在よりも、社会適応になってしまい、視点がやはり偏るためなのかもしれない。