「植字工のアルバイト少年が、活字ケースから一つの活字を抜きとった。
3.5ミリ位の大きさの、馬という活字である。
「これがテンポイント活字か」と少年は、その小ささにおどろいた。

おそらく、新聞活字よりも小さな活字である。

少年は、テンポイントという馬が生まれたとき、馬主が「将来出世して新聞の、10ポイント活字で記事にのるような馬になるように、という願いをこめて10ポイント(テンポイント)と命名した」という記事を読んだことがある。」

寺山修司さんの手記です。まだ続きありますが…。


3月5日はテンポイントが亡くなった日です。


1978年の1月、小雪舞う京都競馬場で散ってしまいました。

今の競馬では考えられない66,5キロを背負って…。


前年の有馬記念でトウショウボーイと一騎打ちに勝ち、もう一花もふた花も咲かせようという時の悲劇です。


競走中の故障は競馬をやるとどうしようもない悲しい出来事です。

サクラスターオーとかマテリアルの悲劇は現地にいました。

競馬なんてしらない頃の出来事は、本やビデオを何度も見て感傷に浸ってました。


もし朝が来たら…ではじまり、でも、もう朝はこない…。

「さらばテンポイント」も良いんですが。

実家にたくさん寺山修司さんの本があるから今度読みなおそうっと!

うんこたれ蔵もよく見てましたが(^^)


テンポイントが亡くなってから10年後の88年にサッカーボーイが現れ、テンポイントの再来と騒がれました。


中山競馬場が改修となり、府中の東京競馬場で行われた弥生賞!

そこから伸びるかサッカーボーイ!3着に来ましたが、関東圏ではその鋭い脚をその後も見ることができませんでした。

馬券の方は美味しい思いをさせていただきました。


タマモクロスとオグリキャップの一騎打ちの88年の有馬記念が最後のレースでした。

武ちゃん騎乗のスーパークリークが突っ込んできたけど、斜行して失格!

降着制度もない時代、今年から変わった制度ではならお咎めなしかもしれません?

サッカーボーイは3着に繰り上げになりました。


私は十勝岳が噴火したからではないですが、オグリキャップの単勝を持ってゴール板のところで見てました。

枠連しかない時代です。確か、単勝の方が少し配当がよかったかな(^^)


最終レースが終わって静かになった競馬場で、嬉しそうに歩いてくるおじさんが馬券を見せてくれました。

オグリとタマモクロスとサッカーボーイの複勝馬券でした。


儲かったから友達と大宴会でした。

誰が見てもオグリとタマモって絶対わからない絵をかいてキープしたボトル。

ああ、楽しい時代でした。