シンボリルドルフに全然歯が立たなかったミホシンザン!翌年、春は道悪競馬が不得意で惨敗したあと骨折が判明!その年の秋競馬に復活しました。中距離の天皇賞(秋)ではサクラユタカオーの3着、自分の中ではオグリが2着にきた時より興奮した少し審議ぽかったですが、ジュピターアイランド・アレミロードの叩きあいがすごかったJCで日本馬最先着ながら3着、次こそはと有馬記念に挑戦です。

 

 ピッポッポ♪と赤坂にあるTV局の天気予報ははキリンレモン提供でした。どっちが先か忘れたが、ピンポンパンの初代お姉さんと鈴木淑子さんなどが番組に出てました。

現在、お台場にあるTV局が競馬中継していた競馬の司会もやってました。大レースの時に有力馬の牧場など訪ねてましたが、ことごとく負けていた記憶があります。

その有馬記念も確かミホシンザンのふるさとの牧場に行っていたような…。レースはダービー馬、ダイナガリバーが優勝、2着にギャロップダイナが突っ込んできてミホシンザンはまたもや3着でした。中継に行っていた牧場の関係者の人が「残念…」だったかひと言おしゃりました。

 同じ社台のお馬さんが1,2着。うれしそうに2頭の口取りを確か吉田 善哉オーナーがうれしそうでした。

その時の馬券はダイナガリバーから牝馬だから無理かなとは思ってましたが、不利のあったメジロラモーヌと勝手無用と逃げまくるレジェンドテイオーやスズパレードなどを買ってました。

 

 翌年、ミホシンザンは少頭数のAJC杯を勝ち、日経賞では有馬記念で敗れたダイナガリバーに大差をつけて勝ちました。2着はあし毛がきたって実況で馬名をいってもらえなかったジュサブローでした。

 そして、迎えた天皇賞(春)、ニシノライデンが勝ったという実況で、映画監督でゲストだった森田芳光監督が「えっ、勝ったんですか」だったか「負けたんですか」どっちかわすれましたが、びっくり?発言してました。私も後楽園の黄色いビルの中で確定する前に馬券を足元に捨てました。ところが審議のあとハナ差でミホシンザンが優勝!ハナ差2着のニシノライデンは斜行して3着の今は亡き蛯沢誠治ジョッキー騎乗のアサヒエンペラーを妨害!失格になってしまいました。急いで足元の馬券を拾ったのは言うまでもありません。みんなで美味しくお酒を飲みました。丸めたり、ゴミ箱に捨てないでよかった。確定するまで馬券は捨てないようにしましょう。(競馬はロマンでした(^^ゞ)

 ミホシンザンの引退式は雪がたくさん降って競馬が中止になった時に行われました。あの日、競馬場に行った人がコアな競馬ファンかもしれません。私は…。多少の雨なら行きますが、あの雪では(^○^)


 旅の番組で年齢不詳の鈴木淑子さんが自分は酉年とおっしゃったので、当時は結構ふけてるんだな~って思ってましたが実際はひと回り若いことが今日、ウキペディアみたらわかりましたm(__)m本当に便利な時代になりました。

 明日は「縁結びかな?サクラローレル」のお話の予定です。