先月の28日ケンの学校では「巣立ちの会」が行われた。これは、もうすぐ卒業する6年生とその父兄、そして担任の先生とが参加するお別れ会のようなものだ。
会場である視聴覚室に入り自分の席につくと、ケンからの手紙、かわいい布で作ってあるチューチップの花束、そして飲み物と、子供達手作りのクッキーが置いてある。
しばらくして会が始まった。ケンは、実行委員の様な事をやっているようで、進行表通りに会を進めるため、ちょこちょこと動きまわっていた。


子供達のスピーチのコーナーがあって「思い出のメッセージ」「僕の夢.私の夢」「感謝の気持ち」の3つのテーマで、子供達は父兄の方をむき、それぞれの思いを話してくれた。このスピーチは、作文を読み上げるのではなく、みんな何も見ずに真っ直ぐお母さん達の方を見てしっかりと話してくれる。中にはど忘れしてしまう子や、緊張で声が小さくなってしまう子もいたが、みんなちゃんと話したい事がまとまっていて、すごいなーと思った。ケンは「思い出」のテーマで、自分が児童会長になれてうれしかったというような事を話していた。多分こういう場面で緊張しないタイプなんだとおもうが、少々早口だが大きな声でしっかりと話していた。おかげで、私もハラハラすることなくじっくりと聞く事ができた。
合唱や詩の朗読、クイズとどのコーナーもきちんと練習、準備がしてあって、スムーズに会は進んだ。
ケンの私とショウちゃんにあてた手紙の中に
「幼稚園の時、保育園から転園した時に、友達ができるかなぁと心配してくれましたね。いまは、幼稚園のときの友達や,K小に入って友達になった子もいて、友達がいっぱいいます。ありがとう。」と書いてあった。
ケンは、我が家の仕事の都合で1歳半から保育園にいれていた。そこでは沢山友達もでき、楽しそうに通っていたのだが、「やっぱり小学校にはいるときには地元の幼稚園からの子が多いだろうから」と年中から、アヤ、リエも通った幼稚園に転園させた。その入園式の時、ケンは一人年中組のクラスにはいり(ほとんどの子は年少クラスから入園)新入園児代表で名前を呼ばれた時は「はい!」と大きな声で返事をした。しかし、ほかの子供達が当たり前に歌う歌もうたえず、あいさつもわからず、緊張した顔でぎゅっと口をむすんでただ立っていた。なんだか、その場面が忘れられず、前の保育園の友達と無理矢理ひきはなしたような感じがして、このまま友達ができずに寂しい思いをしたらかわいそうだとかあれこれ考えてしまって、晴れがましい入園式のはずが、ちょっとせつない物になってしまった。
しかし、実際幼稚園に通い始めると、通園バスも喜んで乗って行き、先生からも「友達ですか?全然問題ないですよ。クラスの中でもどちらかというと元気なグループの、中心になって遊んでますよ」という話を聞き、早々に私の中の「かわいそうな事をしてしまった」という意識から遠ざかる事ができた。
こういう経過があったため、ケンの手紙にこんな風に書かれてあったのは、すごくうれしかった。
最後に子供達は、先生に「寄せ書き」を渡した。数日前ケンが事務所で色画用紙とのりとカッターナイフで一生懸命何かを作っていた事を思い出し、コレだったのか・・と思った。受け取った先生方は涙を流し喜んで下さった。
なんだか本当に手作りの会という感じで、子供達が親に内緒で一生懸命準備してきたんだなあ、6年生になると、こんな気遣いもできる物かと感心した。そして、この学校でこんな風にみんなでチカラをあわせて何かをするって事が、もうできなくなってしまうのかと思うと、少し寂しい気持ちになった。
次の詩は子供達が読んでくれた「生きる」という詩だ。いい詩だなぁ。
「生きる」 谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

会場である視聴覚室に入り自分の席につくと、ケンからの手紙、かわいい布で作ってあるチューチップの花束、そして飲み物と、子供達手作りのクッキーが置いてある。
しばらくして会が始まった。ケンは、実行委員の様な事をやっているようで、進行表通りに会を進めるため、ちょこちょこと動きまわっていた。


子供達のスピーチのコーナーがあって「思い出のメッセージ」「僕の夢.私の夢」「感謝の気持ち」の3つのテーマで、子供達は父兄の方をむき、それぞれの思いを話してくれた。このスピーチは、作文を読み上げるのではなく、みんな何も見ずに真っ直ぐお母さん達の方を見てしっかりと話してくれる。中にはど忘れしてしまう子や、緊張で声が小さくなってしまう子もいたが、みんなちゃんと話したい事がまとまっていて、すごいなーと思った。ケンは「思い出」のテーマで、自分が児童会長になれてうれしかったというような事を話していた。多分こういう場面で緊張しないタイプなんだとおもうが、少々早口だが大きな声でしっかりと話していた。おかげで、私もハラハラすることなくじっくりと聞く事ができた。
合唱や詩の朗読、クイズとどのコーナーもきちんと練習、準備がしてあって、スムーズに会は進んだ。
ケンの私とショウちゃんにあてた手紙の中に
「幼稚園の時、保育園から転園した時に、友達ができるかなぁと心配してくれましたね。いまは、幼稚園のときの友達や,K小に入って友達になった子もいて、友達がいっぱいいます。ありがとう。」と書いてあった。
ケンは、我が家の仕事の都合で1歳半から保育園にいれていた。そこでは沢山友達もでき、楽しそうに通っていたのだが、「やっぱり小学校にはいるときには地元の幼稚園からの子が多いだろうから」と年中から、アヤ、リエも通った幼稚園に転園させた。その入園式の時、ケンは一人年中組のクラスにはいり(ほとんどの子は年少クラスから入園)新入園児代表で名前を呼ばれた時は「はい!」と大きな声で返事をした。しかし、ほかの子供達が当たり前に歌う歌もうたえず、あいさつもわからず、緊張した顔でぎゅっと口をむすんでただ立っていた。なんだか、その場面が忘れられず、前の保育園の友達と無理矢理ひきはなしたような感じがして、このまま友達ができずに寂しい思いをしたらかわいそうだとかあれこれ考えてしまって、晴れがましい入園式のはずが、ちょっとせつない物になってしまった。
しかし、実際幼稚園に通い始めると、通園バスも喜んで乗って行き、先生からも「友達ですか?全然問題ないですよ。クラスの中でもどちらかというと元気なグループの、中心になって遊んでますよ」という話を聞き、早々に私の中の「かわいそうな事をしてしまった」という意識から遠ざかる事ができた。
こういう経過があったため、ケンの手紙にこんな風に書かれてあったのは、すごくうれしかった。
最後に子供達は、先生に「寄せ書き」を渡した。数日前ケンが事務所で色画用紙とのりとカッターナイフで一生懸命何かを作っていた事を思い出し、コレだったのか・・と思った。受け取った先生方は涙を流し喜んで下さった。
なんだか本当に手作りの会という感じで、子供達が親に内緒で一生懸命準備してきたんだなあ、6年生になると、こんな気遣いもできる物かと感心した。そして、この学校でこんな風にみんなでチカラをあわせて何かをするって事が、もうできなくなってしまうのかと思うと、少し寂しい気持ちになった。
次の詩は子供達が読んでくれた「生きる」という詩だ。いい詩だなぁ。
「生きる」 谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
