「え~まだ見てないの~?」と何人かにいわれ、もうぼつぼつ上映終わっちゃうという情報もはいり、土曜日にやっと「三丁目の夕日」を見てきた。
上映時間は夜の11時10分。お風呂にはいり、ケンを先に寝かせ、湯冷めしてはいけないとそうとう厚着をして、当然すっぴんにめがね、キャスケット帽を目深にかぶってっていでたちででかけた。知りあいにあっても多分だれも私だとは気づくまい・・(この時間じゃ普通会わないか・・)
絶対寝ちゃいけない!と暖かいコーヒーを飲みながら、上映時間を待つ。お客は私以外にたった5人。50~70歳くらい?まさに「三丁目の夕日」世代。
そして映画がはじまった。
見始めてしばらくの間は、けっこうマンガチックな演出ありで、「これで、感動して泣けるのかなー」って感じ。しかし、やはり泣けた。「超感動大作!」見て「だ~~~」と泣くのとは違って、ちょこちょこと細かな泣きのツボがおりこまれてる感じ。自分でも今のシーンのどこに何を感じて泣いてるのかよくわからないうちに泣いている。昭和の町並みのセットは本当に凝っていて、私達が子供時代を過ごした時期よりはもうちょっと昔な感じはしたが、全く違和感はなく、テレビや冷蔵庫が出てきた頃はあんな風だったんだーとかすごくおもしろかった。
子供達がほんとうにかわいい。純真で、元気で、いいなー欲しいなーって思える物がいっぱいあって、子供ってホントはあんな風でいられるのが一番幸せなんじゃないかと思えた。あの時代の子供を演じた、子役達は、どんな風に感じたんだろう。その辺がちょっと聞いてみたい。
ご近所同士の開けっぴろげなつきあい方は、そのまま今の時代にあてはめる事は出来ないだろうが、すごく暖かい感じがしてうらやましかった。
何度も泣きのツボにはまりながら、物語は終盤にちかづく。
そして最後、やはり予想通りのでっかい泣きのツボにどっぷりはまった。
基本的に「子供もの」「動物もの」「スポーツもの」に弱い私は、ティッシュ使いまくりだった。

この映画のどこにそんなに感動したのだろうと考えてみる。
時代的には、私の子供の頃よりも前の話で、物珍しさはあっても懐かしさはない。
集団就職もよくわからないし、家電三種の神器もあってあたりまえで生きてきた。
(偶然にも私は数日前「家電三種の神器」というタイトルでブログしてますねー)
今よりも物も少なく、不便な生活をしているはずなのに、なぜかものすごく充実していて、みんな元気で、自由で、びっくりすること感動する事がいっぱいあって、そしてどこの家庭をのぞいても「人情」があふれてる。
今の人間関係とどう違うんだと考え、毎日、テレビ新聞で伝えられる陰湿な事件を思い浮かべ、「いったい何が幸せなんだろう」なんておおげさな事まで考えさせられた。

「単騎、千里を走る」のチャン・イーモウ監督がそのHPでいっているが

~「顔と顔をあわせて人と人とが交流する」それは私達にとって、失ってはならない“大切なもの”だと思うのです。~

「3丁目」というごく狭い地域の数家族だけの人たちで、当たり前の日常を描くことだけで、その「大切なもの」が表現されている。その「大切なもの」がふんわりと暖かく心の中にはいってきて、涙が出てきたんだと思う。

チャン・イーモウ監督は、日本人と中国人というかかわりでそれを表現し、山崎貴監督はご近所でそれを表現している。

たまたま同時期にこの二つの映画が公開されたわけだが、やっぱり、みんながその「大切なもの」がほんとうに「大切」なんだ「必要」なんだと感じ始めているのかもしれない。

えらそうな事いって「単騎、千里を走る」の方はまだ見てない!
これも早いとこ見に行かなきゃなー。

今回久々に劇場に足を運んで映画を見たが、一番びっくりしたのは、午前1時30分に映画が終わったんだけど、1時45分にはすでに布団にはいっていたこと!
やっぱり近いのはいい!