昨日「セントレア」へ行った。とはいっても旅行にでかけたわけではなく、ショウちゃんとおかあさんが韓国出張から帰ってくるため、むかえに行ったのである。
九州旅行でセントレア初体験した私だが、旅先から飛行機でセントレアに到着し、そこからたくさんの荷物を持って名鉄にのり、乗り換えてって事が旅疲れの体には結構こたえるという事を知っているので(その時はt-ojisanが空港まで迎えにきてくれてほんとうに助かった)なんとか迎えにいってあげたいと思った。
しかし私にとって「セントレア」まで高速を使って車でむかうという事は、未体験であり、そうとう度胸のいる事である。
まず、インターネットで詳しくアクセスを調べる。しかもまず愛知県が全部載ってるような縮尺の大きい地図で大体の位置を把握する。そうとうの方向音痴の私はそこからはじめないと感覚的に方向、距離感がつかめないのである。マイカー「アルファード」にカーナビはついているが、買った当時まだセントレアはできてなくて、当然知多半島道路からセントレアラインへの道は途中からなくなっている。そんなカーナビをあてにしていたら、私はいつまでたってもセントレアにはたどり着けないだろう。でも一応セットだけはしておく。インターネットで詳しくルートを調べる。何ルートかあるなか、私が選択したのは極力「本線」をずーっと走っていけばいいルート。そう、私は高速道路での車線変更がきらいなのである。めったな事では追い越し車線へははいらない。やむをえず車線変更をしなければならないときは、何台も何台も車をやり過ごし後続車がはるか後ろの方に小さく見えている状態で「よし!」と車線変更をする。前にちょっと遅めのスピードで走ってる車があると少しホッとしたりしてあとをついていく。後ろからきた車がいらだたしそうに抜かしていくと「だって前が遅いんだからしょうがないじゃ~ん」と心の中で言い訳ができるからだ。
ショウちゃん達は2時過ぎに到着予定だと聞いていたので、こんな私でも2時間前に出れば大丈夫だろうと準備万端でお昼頃出発した。
最初の方は緊張していたが、だんだん高速のスピードにも慣れてきて、運転しながらガムをかんだり、ZIPFMを聞きながら鼻歌までうたえるようになってきた。
高速道路の標示もそうとう前から飛行機マークがでていて「こっちだよ!ちゃんとあってるよ!!」と教えてくれる。
ところが知多半島道路に入って「結構近くなってきたぞ!」って頃になったとき、カーナビが「まもなく○○出口です。左車線に入って下さい」とお願いしはじめた。でも飛行機マークはまっすぐ前に向かっている。ちょっと焦ったが、「そういえばあなたはセントレアが出来た事ご存じなかったのよね」とカーナビにささやき、飛行機マークだけを信じてすすむ。しかし、カーナビはあきらめずに何度も「左車線に入って下さい!」「まもなく料金所です!」とだんだんヒステリックに
叫びはじめる。「わかっとるわ!」と「案内中止」のボタンをおす。
そしてまた運転を続ける。しばらくすると、私が知多半島道路の途中から「旅の友」に指名し「あなたについていきます」と決めたちょっとゆっくりめの車が左にウインカーを出しSAにはいっていってしまった。「冷たいもんだな~」と思いつつ気持ちを切り替え運転する。すると今度は突然、数台前の車2台がSAでもなんでもないところでウインカーをだして左に車をよせた。通りぬけるときよく見ると、前の車はパトライトを積んだ覆面パトであった。スピード違反の車がつかまったのだ。「ざま~みろ~~~!!!」と思わず声にだす。
そんなこんなでやっとセントレアに到着。
しかしここからがまた・・
駐車場がいっぱいで30分待ち。係の人がはるか遠くに見える駐車場をすすめている。荷物をもってあそこまで歩くのを想像し、30分待つ事を選択。
そしてやっと到着ロビーへ。
まだ少し時間があるので、国際線出発ロビーの上にあるショップでもみてこようと移動。すると、なぜか名古屋テレビのテレビカメラと、中日スポーツのカメラマンガいる。そしてすでにカメラを構えている。いったいだれ??と思って見ていると、なんと浅田舞、真生姉妹あんど山田コーチがいるではないか!真生ちゃんはニット帽を目深にかぶっててあまり表情はわからなかったが、舞ちゃんはホントにキレイだった!顔もめちゃめちゃ小さくて色も白くて、思わず写メで撮ってしまった。セントレアまで来てよかったとちょっと思った。

いよいよソウルからの便が到着の時間になり待っていると「今セントレアに到着」とのショウちゃんからのメールが。即「今到着ロビーにいます」と送ると「感謝!」のメール。
出てきたショウちゃんの荷物をみると、でっかい「韓国のり」のダンボールが・・
やっぱり迎えに来て正解でした。これもって名鉄はきついよな~。
しかし「おかえり~」のあとの言葉が「一人?一人で運転してきたの!?」・・・

当然帰りはショウちゃんの運転。助手席の私は、行きの道中で乗り越えたさまざまな困難(?)をべらべらと自慢げにしゃべっていた。
どっちが旅行したのかわからない、帰り道でした。