
ま、また・・
確か7回の裏、福留のホームランで同点になってたのに・・
巨人戦でないので、テレビはばっさり中継をきられ、アヤとケンはラジオをつけて聞いていた。まさか、岩瀬が・・
と、あまり気分のよくない朝を迎えた。
が、今日は私の誕生日である。自分でわざわざブログで公表するのもなんだけど、一応私にとっては特別な日なので何かUPしようと思って。
3姉妹の真ん中に生まれ、大きなケガも病気もせずすくすくと育った。(なんと私は、幼稚園から中学校まで一日も欠席しなかった!)
高校でショウちゃんとつきあい始め、短大、OL時代をすごし結婚退職。3人の子供に恵まれ現在にいたる。
思い返せば、大きな事件、災害に巻き込まれる事もなく、入院したのは3度の出産の時だけ。今、地球上では戦争、テロ、台風、地震、誘拐、交通事故・・本当にたくさんの災いが起こっている中、自分は幸せだなーとつくづく思う。
健康に関しては、やはり前より疲れやすくなったり、どこか痛かったりすると大きな病気にかかってるんじゃないか・・と不安になったり。前の様にはいかない。
自分の生活を振り返る時、いつも思い出すのは自分と同年代の頃の母親の姿である。私と母はどちらも3人の子供を産んでその時期が似ているので比較しやすい。自分が親の立場になると、子供の頃叱られた理由がよーくわかる。「なんでこんなことでいちいち怒るんだ!」と思ってた事が、今ではすんなり理解出来る。
「心配」なのだ。教育とか、しつけとかそんな事考える前に、母親の本能がぴりぴりと反応してしまう。
スポーツでも、学校でも、物を教える立場の人は感情が先にたってしまってはいけない、怒るのと叱るのは違う、とよくいわれる。
でも、母親に関しては、感情で行動してしまう事が許されるのではないか、と最近思う。「母性本能」は確かにある、と思う。
「感情で行動してしまう」というと、「じゃあ虐待だってそうじゃん」といわれそうだが、虐待は「母性本能」から出た行動じゃないよね。
子供が何か危ない事をして、それを叱る。そのときとっさに「これからこの子が、二度とこんな危ない事をしませんように」と考えて叱る母親がいるだろうか。我が子の身に危険が及んだ事が自分自身怖かったのだ。それでまずその感情がでてしまって怒る。その後なんともない事がわかって少し安心する。そしてその後心配させられた事に腹が立ってきてくどくどと叱る。(これは、私だけ?)かなり自分本位である。
でも、こういう感情丸出しの姿が、一番子供達にわかりやすいんじゃないかと思う。小さいうちは親の姿をみて子供達はいろいろな事の判断をしていく。
そう考えると、親は子供の世話はしているが、「子育て」をしてるんじゃなくて、子供が自分でアンテナをたてて、色んな事を吸収し、自分からどんどん成長している気がする。
なんだかとりとめがなくなってきたけど、
この歳になった娘を今でも「心配」してくれているお母さん、何かと気にかけてアドバイスをくれるお父さん、その存在は心の支えになってます。
ありがとう。