私達の住む地域には「お地蔵さん」という行事が毎年8月24日にある。
これは、子ども会最大のイベントで、子ども達全員でお地蔵さんにお参りし、そのあと公民館で映画鑑賞などのお楽しみ会がおこなわれる。
子ども会の役員である私は、今日このお地蔵さんの「志し集め」のつきそいを行った。
担当の地域の各家庭を5、6年の子どもにまわらせ、志しを集める。

「こんにちわ~。お地蔵さんの志しお願いしま~す」
「は~い。ごくろうさまです。」志をわたす。
「ありがとうございます。お地蔵さんは8月24日5時から8時です。どうぞお参り下さい。」
毎年恒例の行事で、ほとんどの人はこんな感じで快く志しを出して下さる。
が、いろんな人がいる。

「こんにちわ~。お地蔵さんの志しお願いしま~す」
「は~い。ごくろうさまです。コレって大体いくらくらい?」
「大体500円くらいです。」
「わかりました。はい、これでお願いします。」

「こんにちわ~。お地蔵さんの志しお願いしま~す」
めんどくさそ~な顔でドアを開け、奥にお金をとりに行き、ポンと100円わたし、バタンとドアをしめる。(金額は問題ではない)

「こんにちわ~。お地蔵さんの志しお願いしま~す」
「なんでそんなのうちがはらわないかんの~」
「・・・」

色々な人がいるもんだ。
その色々な人の対応のしかたを、子ども達はきちんと頭にインプットしている。
「ご苦労様」と言ってもらえればうれしいし、「何でうちが・・・」で泣いてしまった子もいるらしい。
数百円のお金の価値観はそれぞれだろう。宗教観の違いもある。
しかし、暑い中、近所の小学生が地元のお地蔵さんの為、地域の行事のため、一件一件歩いてまわって頭を下げているのである。金額はともかく、「ご苦労さん」「ありがとう」の言葉をかける余裕がないものだろうか?もし、志しを渡すのに抵抗があったとしても、ちゃんとわかりやすく理由を説明できないものだろうか?

子ども達をがっかりさせる態度を平気でとる大人達が、ごく身近にいる。
これも経験なのだろう。こういう事からも子ども達はどんどん何かを感じ学んでいくのだろう。それも、大切なことかもしれない。
でも、やっぱり子ども達には、将来に、大人に、夢を持って欲しい。反面教師ばかりの世の中に絶望して欲しくない。

私自身は、できるだけ「気のいいおばさん」でいたいと思う。
自分の子どもがいやな思いをするような態度は、他の子どもにもとりたくない。

来年のお地蔵さんからは、私は志を集めにきてもらう方だが、
心から
「ご苦労さん。ありがとう。」と言おう。