月曜日、TC3回目受けてきました。
初回は入院(通常2週間、私は訳ありで16日間でした)で、2回目から外来で受けてます。
外来での化学療法も今回で2回目ということで、要領もつかめててスムーズでした。
夫に送ってもらい、コンビニでおにぎり2個調達。
9時ちょっと前に婦人科外来で受付し、呼ばれたのが9時45分ごろでした。
主治医にご挨拶して着席。
私の主治医は実は知人です。(女医さん)
卵巣癌の疑いと告知されてから、今の主治医に相談させていただいたおかげで手術も驚異のスピードでしていただけ、今に至ります。
話はまず、リンパ嚢胞について。
手術でリンパ節郭清をしたので、おへその上あたり、小腸の下に約8センチ大のリンパ嚢胞があります。
それにより食べた物が詰まりやすく、軽いイレウスに2回なりました。
今はイレウスを防ぐために消化の良い食べ物しか食べられません。
そこまで不自由はないけど、今後自然消失するまでずっとこの食生活かと思うとまぁまぁストレスで。
外食なんかも楽しめないしね。
なので、リンパ嚢胞を穿刺するなら何泊の入院が必要かという話を聞かせてもらいました。
3歳と6歳がいるので入院は極力短いほうがありがたく、何泊かは我が家にとってかなり重要なのです。
今度年末に3クール後の評価としてCTをとるので、そのときにリンパ嚢胞のことも教えていただけるそうです。
あとは、処方薬について足りない薬をお伝えしました。
「ウィッグほんと違和感ないですねー。前の髪型とほとんど変わらないし。」と最後に言っていただき診察室をあとにしました

そこからケモ室へ。
ケモ室で診察券などを看護師さんに渡すと、すぐにベッドへ案内されました。
今回の担当看護師さんが挨拶に来てくださり、前回のことなどを話していると前回担当の看護師さんも来てくださいました。
前回利き手ではない左手でルートを取ってもらったら、違和感があって、カルボプラチンの途中で差し替えてもらったんです。
その後は違和感なかったので、今回は初めから右手でいこうと思っていました。
前回のところが2週間ぐらい痛んでたから左は無理だろうなーと。
入念に血管チェックしていただき、右手でいくことに。
副作用止め、ブドウ糖、生理食塩水(順番も内容もあやふやですが)は大丈夫だったけど、いよいよパクリタキセルが入ったところで、内側から押されるような痛みがしてきました。
少し我慢して様子見てたんだけど、じんじんしてきてナースコール。
看護師さんが前回も来てくださったケモ室の医師を呼ばれて、相談することに。
パクリタキセルをとめて、ブドウ糖を入れると痛みはなくなるんです。
やっぱり劇薬なんやなぁと思いました。
「差し替えましょうか。」と医師に言われ、迷わず「はい。」と返事。このままいくとか絶対無理と思いました。
また血管チェックがあり、左手の肘のところ、よく採血で使われる太いところでルートを取ってもらいました。
そこからパクリタキセル、カルボプラチンの途中までは寝てたので手も全く動かさず、左手は上からも下からも血管を温めるためホットパックのサンドイッチになっていたので、重さのせいか?目が覚めると痛かったです。
前回もでしたが、指が異常にむくみ、結婚指輪がくいのんでいました。
アルコールに弱い私は毎回爆睡なんだけど、看護師さんが来られるたびにふっと一瞬目が覚めるんですよね。話しかけられるとなんとなく返事もして。
前回、最後の最後まで寝てて帰りがほんとにふらふらでやばかったので、今回はカルボプラチンの途中でなんとか目を覚まし、スマホ見たりして無理にでも頭をしゃっきりさせようと心がけました。
全部終わる頃には、夫にもうすぐ終わるLINEもできて前回より意識もしっかりしてました。
お会計、処方薬も受け取りに行けました。
でもやっぱり帰ってからも子どもたちのお世話は夫に任せてしばらく寝かせてもらいました。
副作用は、2日目の昨日からじわじわ倦怠感が出てきましたが、昨日は階段もスタスタ降りられるぐらい。
3日目の今日はやっぱり倦怠感が強くなってます。
さっき、ロキソニン飲みました。
吐き気は、あらかじめ処方されてるもので感じずにいます。食欲もいつも通り。
この1週間は義母と実母に交代で応援に来てもらっています。泊まり込みで。
主に子どもたちの送り迎えと食事の準備、家事をお願いしています。
私が母たちを助ける年代なのにお世話になりっぱなし。でも、みんなで乗り越えようと言ってくれるのでありがたい限りです。
。・*・:♪
お昼ご飯食べて、韓国ドラマ見ようかなーと思ってたら、お昼のワイドショーが始まって、池江璃花子さんの退院のニュース、続いて笠井アナウンサーの悪性リンパ腫のニュースに釘付けになってしまった。
場所は違うとは言え、やっぱり前より敏感に反応してしまいます。
完治と寛解の違いなんかも説明されていて、そうなんだーと聞いていました。
「完全寛解」こう言ってもらえる日を目指します。