ハイハイしていた頃を覚えている
それが、妄想なのか、事実なのかは
確かめることが出来るのは
お母さんに聞いて見ないとわからないけど
白くて長い赤ちゃん着の足が長くて
引きずりながらハイハイしていて
それが前に進もうとするたびに
どっかで引っかかってビーーンと伸びて
踏んづけている服に気づかなくて
そのまま進むとプチプチと音を立てる。
足が自由に動き出す。
そんな事をふと思い出した。
もう少し進もうとか
あと少し行ってみようとか
そんな事はあの頃考えていたかどうかなんて
覚えていないけど
体の感覚だけははっきりと記憶している。
ただ、求めているものがはっきりしていて
声が聞こえる方へ
風が吹いている方へ
そうやって、そこに何があるのかなんて
良くわからないけど
とにかく進んでいる。
それを周りにいる家族は危ない時だけ
たしなめて、方向を転換していたけど
ある時、歩行器に乗せられて新しい世界を
知った時、楽しくて楽しくて
はしゃぎすぎて、縁側から落ちた。
前歯が2本。折れた。
お母さんはその時のことを未だにわたしに話す。
「あんたはホントにじっとしてなくて
歩行器に乗せると、ものすごいスピードで
あちこち進んで回ってて、気がついたら
縁側から落ちてたんよ。ビックリしたわ」
好奇心が止められない。楽しくて仕方ない。
失敗する。怪我もした。
でも、楽しくて仕方ない。
だから、またやる。
もう少し、見てみたい
あと少し、見てみたい。
あともう少し、見てみたい。
どうなるのか。どうなっているのか。
そんな興味が止められない。
衝動が湧いてくる。
目的がある時ってそんな感じで
自分が何かの目的を持っている時
失敗もする。嫌な思いもする。痛いことだって
怖い思いもする。
少し心と体が怪我をして休んでみても、
でもその目的に向かいたい。
その先がみたい。といつも願っている。
だから、人は成長する。
「それがなんなのか」を事実として確認するまで
ずっと、追い続けて経験し続けて
大人になっても、なお追い続けている。
もう少し見たい、あと少し、見たい
あと、もう少し見たい
そうやって、子供の時のような感性を大切にしたいから
感受力を高めていたいと思っている
考える事に疲れたら
休んで、感性を高めるようにする。
たっぷりと充電すればまた、見えてくるから。
これで大丈夫。そうやってまたわたしは
「見たいもの」を追っているのだ。