●認知的不協和 | 『潜在意識改革』思い込み改善専門ブログ

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思い通りになっているけど望み通りにはなっていない。
そんな自分に気づく時、すべてが変わりはじめます

 

「認知的不協和」って

 

これは結局「自分が最も目をそらしたいこと」や

感じたくない感情を隠す為に

 

事実を捻じ曲げる心的作用

 

 

それは

自他共に、可能性を否定して優劣感をつけてしまい

 

人の魂を傷つけてしまう行動で

 

 

結局のところ、

 

「自分をずっと固定し続けている」ということに

なってしまっていたことがある。

 

 

 

認知的不協和についての学術的な記述は

こうです。

認知的不協和(にんちてきふきょうわ、: cognitive dissonance)とは、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。

 

 

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%9A%84%E4%B8%8D%E5%8D%94%E5%92%8C

 

 

 

これは人を「あの人はこうだ」と

日々判断し、分離する材料にはしていない。

 

 

単なる傾向に過ぎないから。

 

 

ただ、わたしが本音を隠して自分をごまかしていたのは事実で

 

 

今も「不協和」を起こしているという事はわかる

 

 

ようするに

 

「自分の都合のよい解釈をして避けたい感情を遠ざける」

ということ。

 

 

宗教観もあるかも知れないし

誰かが言った言葉かもしれない

 

 

わたしはそれによってある時期

自分でマインドコントロールしない時があったから

 

 

でも、ある時

 

事実を認めることに猛烈にプレッシャーがかかった。

 

 

自分が最も

 

「愛している」「尊敬している」と思っていた人に対して

 

「実は忌み嫌っている」

 

 

という事実に気づいたから。

 

 

だけど

そんな感情を感じたくなくて

 

 

自分の行動によってずっと「ごまかし」てきた

 

 

「相手の為に尽くす」行動そのものが

 

「その人を愛している」という証明であると勘違いして

 

 

心の奥底にある「感じたくない感情」に蓋をし続けて来た

 

 

 

前提にある思考はもうすでに明白で

 

 

本音を言えば

 

「嫌いだった」

「実は嫌だった」

 

で済んだことだった。

 

 

だけど、それを言うことで

「相手から受けられる愛情」を受け取れないのではないか??

 

という不安と恐れから

 

ずっと、目をそらして来たんだと思う。

 

 

わたしは、この認知的不協和を

ある時、自己催眠によって確信してしまい

 

 

心がバッサリと折れてしまった

 

 

今まで自分が

 

 

本心だと勘違いしてきた

 

「相手への愛情」の奥底に

 

 

自分の・・・

 

言えば「汚らしいと感じてしまうほどの」感情があったことに絶望して

 

 

完全に壊れた。

 

 

それが、本当に自分が求めている自分に出会うための

 

一歩だったように思うけど

 

 

その時は、もう

 

自分の何もかもが「破壊」されたようで

 

 

自分が一番怖かった。

 

 

周りのなによりも自分自身が恐ろしい生き物だと感じて

 

 

 

それ以外、自分がどんな行動を取っていたかなど

 

考えもしなかったし、相手の事など解りもしなかった

 

 

 

それぐらい、わたしは

 

ガッチガチの不協和人間だったらしい。

 

 

 

壊さないと創造できないというのはホントで

 

 

一旦、自分の考えをぶっ壊さないと

わたしは、ねじ曲がった考えがずっと

 

ホントだと思い込んでいたと思う。

 

 

だけどその後、わたしは

 

「愛している」という事実は

 

嘘では無かったということに気づく。

 

 

本当は大好きでたまらなかったんだと。

 

 

ただ、心底それを感じられるようになるまでに

大きな壁が立ちはだかって

 

 

一番手を伸ばしたい場所に到達するまでに

かなりの壁を壊すしかなかった。

 

 

本当は早くそうしたかったんだろうと思う。

 

 

チョットの行動だけで大きく変わるのに

 

私という人間は

 

だいぶそこから目をそらして生きてきていたらしい

 

 

認知的不協和は

毎日の生活で自分が考えいていることの中に

少なからずあるものだけど

 

 

別に

 

自分を否定する必要も

 

相手を否定する必要もない

 

 

わたしがうまくいかないのは

社会がこんな風だからだ。

 

わたしがあの人とうまくいかないのは

あの人がこうだからだ

 

 

自分が「しない」ことを

それは別にたいしたことではない

 

などと、

 

 

不協和を起こすことはない

 

 

ただ、自分は「どうしたいのか?」という

 

本心に従えばいいだけで

 

 

あとは勝手にうまくいく。

 

 

余計な観念は一切外して、

 

ただ、本心に気づいてみること。

 

 

 

それだけでいい。