この活動をしていて、葛藤すること。


コミュニケーション力を養うという目的を捉えてもらえず、障害者が「見せ物」みたいになってないかな?ということです。

まだ自分が加わる前、最初に見学したときに、私はとても感動しました。

それは、私に「他者に積極的に関わろう」という素地や知識があっての事。

児童の感想を読むごとに、私たちの気持ちが一方通行になってるかも?と思うことがあるのです。


昨日の児童達はとても大人しい割に、横を向いてはヒソヒソ。

質問を募ってみてもナシのつぶて。

真面目に手話を表現しようとした子のことをからかい、足を引っ張る子もいました。

手をタコのようにめちゃくちゃに動かして「手話」を揶揄してる子もいました。

言葉にはでませんが、全身で「私達には関係ないことだ」と表現してました。

私もその様子を見ながら、

「いや、ゼッタイこの中にも興味を持ってる子がいるはずだ」と最後まで希望を捨てず(笑)続けました。


最後、ろう者が自分の生い立ちや現在の生活を話すのですが、そのAさんは新しい手話辞典の選出委員もなさっており、私の手話の先生でもある方。私より若く、コーダの娘さんたちのお母さんです。

私の表情を誰よりも深く早く読み取り、フォローしてくださる、神のような方です(笑)

Aさんは最後に必ずこう宣言されます。


「手話は遊びではありません。私達の大切な言語です。」

子供には難しいんじゃないか?と思いましたが、それは同席してる先生、保護者、ひいては同行の私達に対する宣言でもあることに気づきました。

流行歌にのせて振り付けのようにされる手話、ドラマを彩るための道具の手話、もううんざりだと。


終了後、出演者全員どっと疲れていました(笑)あまりのリアクションの無さに。


反省会を終え、玄関に向かっていると、一人の児童がキラキラした目をして、Aさんに駆け寄りました。何か話しかけたいのですがうまく表せないようです。

「ゆっくりでいいから、今日勉強したやり方で、直接お話してごらん。」



中津藩から立身出世した福澤諭吉も、

田川郡から立身出世したIKKOさんも、

同調圧力に負けず、様々な壁を乗り越えて大成されてます。

どうか村社会の同調圧力に負けず、伸び伸び育ってほしいです。